高い天井に吊り下げられた幾つもの蛍光灯が、細長く大きな部屋を照らし出している。灰色の機械が並ぶ寒々しい空間に鳴り響くのは単調な機械音のリズム。この無機質な部屋には何十人ものペンギン達がいる。しかし、到底、騒がしく陽気なペンギン達がいるようには思えない。彼ら自身から発せられるのはフリッパーを動かすペンペンとした乾いた音、それのみである。
室内にいるペンギン達は、皆、フンボルトペンギンだ。小さめの中型のペンギンで、頭から足まで続く太く白いラインと、胸を丸く囲む太く黒いラインが特徴である。さらに、腹部には黒いドットが幾つか散らばっていて、クチバシの上はピンク色だ。ヌルイ区に暮らす一族だ。
このフンボルトペンギンの中で、出入口のそばで作業している二人の若い兄妹がフリッパーを動かしつつも、クチバシをそっと開いた。
「ルトト……、この調子じゃ、型抜き作業が今日中に終わらないよ……」
兄の分堀戸(ふんぼると)ボルルが小声で注意深く言った。
「ボルルお兄ちゃん、私もう疲れた……。今日もイワシ1匹しか食べてないし……力が出ない……」
少し小さめの体の妹ルトトが、耐えきれずフリッパーの動きを止めてしまった。あかぎれたフリッパーの先からはじんわりと血がにじんでいる。兄のボルルが慌てて、ルトトの作業を促すように大きい声を出してしまった。
「ルトト!フリッパーを止めてはいけない!」
兄ボルルの声に、反射的にルトトは、フリッパーを再び動かし始めた。しかし、遅かった。
「私語厳禁!作業停止厳禁!分堀戸ボルル・ルトト、社則により減給の上、ノルマ加算!」
スピーカーから甲高い機械音が流れ出た。すると、カサカサとした水分の抜けた室内の音が大きくなった。他のペンギン達のフリッパーの動きが一斉に早まったからだ。
「……」
それに反して、今度は兄ボルルのフリッパーの動きが止まった。
「……ルトト、僕も、もう耐えられない……。これは不当な扱いだよ。直談判に行こう……!」
「……うん!お兄ちゃん!」
二人が出入口からそっと外に出ると、途端に物々しいサイレンが鳴り響いた。
* * *
場所は変わって、おさかな商店街である。先ほどから、ある店の前をウロウロしているペンギンがいる。そのペンギンは、白地に青い水玉、いわゆる「豆絞り柄」の手ぬぐいを頭から被りクチバシの上で結んでいる。そして、首からは下げているのは小さな巾着だ。どうやらその不審なペンギンは、その店に入りたいらしいのだが、入りあぐねているようだ。10分以上も店の前にいる。しかし、やっと決心がついたらしく、豆絞りの手ぬぐいをキッチリと結び直すと、その店のドアノブにフリッパーをかけた。しかし、ちょうどその時、店の中からドアを押して3人の客が出てきてしまった。不審な豆絞りのペンギンは、顔を隠すようにし咄嗟にドアに背を向けた。
「あら?阿照(あでり)さんじゃない」
声をかけたのは、店から出てきた慈円津(じぇんつ)サエリである。後ろには、子供のジュリーと妻の順子がいる。地味な順子は、首に小石を連ねたネックレスを付けている。
「え?なんで僕だと分かったの?」
豆絞りの不審なペンギンは、慈円津の方に顔を向けると胸の巾着が揺れた。
「分かるに決まっているじゃない……。それに、阿照さんが忘年会の日からずっと豆絞りを被っているのは、みんな知っているわ」
「あ?え?……うん、だって、みんなの前で求愛ダンスしちゃって恥ずかしくて」豆絞りを被っている阿照は動揺し、白く縁取られた丸い目を泳がせた。慈円津はおかしそうに笑いながら、バシッと阿照の撫で肩を叩くと、阿照はよろめいた。慈円津は、やはりオス。意外と力があるのだ。
「阿照さん!そんなの『宴会の恥はかき捨て』よぉ~!」
「……なんか諺(ことわざ)が違う気もするけど……そ、そうかな?」
阿照は、尚も狼狽した様子で、フリッパーをペンペンと動かした。その度に胸の巾着が揺れる。スキだらけのその胸元を見た慈円津は、すかさずフリッパーを阿照の巾着に伸ばし、素早い動きで中から小石を取り出した。
「あら、これが阿照さんが忘年会長になる代わりに王さんからもらったという小石ね。なかなかいい小石じゃない!」
「あ!待って!それ、僕んだ!」
阿照は焦り、取り返そうと躍起になったが、慈円津はそんな阿照の様子など意にも介さない。しかも、
「はい、順子、プレゼントするわ」
「ありがとう、サエリ!」
と、妻の順子にその小石をプレゼントしてしまった。喜ぶ順子。だが、当然、阿照は憤怒した。
「その小石は、僕んだ!」
阿照は、毛を逆立てながら順子から小石を奪いかえそうとすると、慈円津が、ズンっと、その間に割って入ってきた。
「阿照さん、『小石は天下のまわりもの』よっ!」
そして、慈円津は、持っていた買い物袋の中からある物を取り出し、自分のクチバシの上に付けた。それは付けヒゲである。そして、大きく胸を張ってフリッパーを広げ、いつもは隠している大人のオスペンギンの風格を阿照に見せつけた。男装の麗人といった神々しさも加わり、勝ち負けは一目瞭然である。
「慈円津さん!ひどいよぉぉぉ!」
一瞬で慈円津の風格にひるんでしまった阿照だが、やはり小石には未練がある。小石を取り返そうと慈円津をかわし、横から後ろの順子の方へとフリッパーを伸ばした。しかし、順子を見ると息を飲み、動きを止めた。
順子の地味な顔から一筋の涙が流れているのだ。
「……サエリ、折角のあなたからの愛のこもったプレゼントだけど、阿照さんがすごく怒っているから、私、あきらめるわ……」
ジュリーが泣いている母親の順子に抱きつき、顔だけこちらに向け、阿照をにらんでいる。
「あきらめるわ……この小石……」
しかし、口とは裏腹に順子は小石をフリッパーにしっかりと握ったままだ。
「じゅ、順子さん、泣かないでよ。僕がイジメてるみたいじゃないか……もういいよ。あげるよ……小石……」
順子の涙とジュリーのにらみにまんまと屈服してしまった阿照に、慈円津は気の毒そうに、
「順子の涙は最強なのよ」
とペンペンと声をかけた。
「順子さん、素敵な小石ネックレスしているからいいじゃないか……」
阿照は、まだ不満そうである。ブツブツ文句を言っている。
「まぁまあ、代わりに私のサインをあげるから」
慈円津が付けヒゲのままアイドルポーズをとってなだめると、阿照はプイっと横を向いた。
「いらないよ……」
すねたように小さく言う阿照に、
「んだとっ!おっぺけぺーがっ!」
と、慈円津がフリッパーでどやす。まるで漫才のような光景だ。そんな中、順子は嬉しそうに奪った小石を眺めていた。が、ふと、表情を曇らし、自分の首に着けている小石ネックレスと見比べると、おもむろに、小石を阿照に差し出した。
「阿照さん、小石、返すわ」
「え!順子いいの?返しちゃって?」
「うん、サエリ、いらないわ。だって……」
順子は、慈円津にゴニョゴニョと耳打ちをした。慈円津はウンウンと聞いている。慈円津も納得したようだ。
「阿照さん、その小石って、王さんが比毛(ひげ)さんからもらったものよね?」
「うん……そうだよ」
「そう……順子の言う通り、その小石は返すわ」
「えっ本当かい!?」
阿照は小石を順子から奪うように受け取った。
「順子って本当に優しいペンギン!」
慈円津は、順子のクチバシを愛おしそうに触ると、順子も「そぉかしらぁ」とまんざらでもない様子だ。イチャつく慈円津夫妻を横目に、阿照は小石を巾着の中に戻し入れながら尋ねた。
「順子さん、急に返してくれるなんて、どういうことだい?」
地味顔の順子がうつむき加減に、そっとささやくように答えた。
「阿照さん、この店に入れば分かるわ……」
順子は、自分たちが出てきた店・阿照が入ろうとした店、「ヒゲの小石チェーン店~ホドヨイ区海岸通り55号店~」をフリッパーで指した。
(つづく)
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第4章 ヒゲの小石チェーン店(1)、いかがでしたでしょうか?
のんきに楽しくペンペンと時が流れていると思われたペンギン界のダークサイドが……ボルルとルトト、どうなるのでしょう?そして王さんが小石をもらった、比毛さんと小石の関係は!?ちなみにフンボルトペンギン、地球では主に南米の温暖な地域に住んでいて、日本の動物園で最初に飼育されたペンギンでもあります。日本の気候によく馴染むのか、生息数のうち相当数が日本にいるという説も。冬などストーブの前に固まって動かない姿が愛らしいです。負けるな、ボルルとルトト!
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