黄頭(きがしら)がピンセットでつまんで取り出した張り紙に書かれていた文章を王は口にした。
「結婚のため、しばらく店を閉めます。 氷屋店主 皇帝ペン一郎」
王も景布(けいぷ)も、クチバシをポカンと開けている。しかし、王は小さな目を見開くと、ペンとクチバシを閉じた。
「結婚……!……ゴッカン区は、今、真冬……そういうことか!」
王はやっと気がついたようだが、景布はまだ何のことだか分からない。
「どういうことです?」
王と黄頭の顔を代わる代わる見ている。
「景布さん、皇帝さんは自ら店を閉めたんだよ。だが、待て……分からないな。張り紙に血がついていた理由が分からないよ、黄頭さん」
黄頭は、張り紙にドライヤーを当て、乾かしながら王の問いに答えた。
「王さん、先ほどの血は、皇帝さんの血だが鼻血だよ。混ざっていたもう一つはおさかなの血だ」
「どういうことかい?皇帝さんは無事なのかい?」
混乱した王は、頭を抱え、シュレーターズカチューシャを上下に揺らした。
「まぁ、大丈夫だろう。理由は、阿照(あでり)さんに聞くといいよ」
黄頭は、乾いた張り紙を王に差し出した。
* * *
「黄頭さんって怖い顔してるけど、いい人なんですね」
黄頭ナンデモ研究所を後にし、阿照の店に向かう途中、景布が王に話しかけたが、王は、
「うん……そうだね……」
と心ここにあらずだ。ちょうど、黄頭の事務所での帰り際のことを思い出していたからである。王は、黄頭に尋ねたのだ。
「黄頭さん、もしかしたら、ここにある不思議なものの数々は、大穴から吹き上げてきたものなのかい?あの噂は……」
黄頭の鋭い瞳が光った。その一瞬の光の意味は王には分からなかったが、黄頭には触れられたくないことだったことには間違いない。
「王さん、そんなことより、早く阿照さんと仲直りした方がいい」
そして、黄頭は、王達を送り出したのだった。
そんな先ほどの会話を王がぼんやりと考えているうちに、阿照のプロマイド店に到着した。
「営業中になっていますね」
阿照のプロマイド店は、「営業中」のプレートに変わっている。中をそっと覗くと、レジに阿照がいた。しかし、先ほどは被っていなかった豆絞り柄の手ぬぐいを頭に被っている。さっきのことが余程ショックだったのだろう。王は、豆絞りを被りペンペンとうなだれている阿照を見て、申し訳ない気持ちになった。景布も同じ気持ちらしい。
「まだ怒っているかな……」
「何かお詫びの品をあげればいいのかもしれません」
「阿照さんが喜ぶ品って、おさかなかな?」
景布が顔を横に振った。
「確かに、おさなかは喜ぶでしょう。なぜならペンギンだから。でも、もっと特別なものの方がいいかもしれませんね」
阿照の店の前で、しばし、シュレーターズカチューシャを被った二人は無言になったが、唐突に景布がペンとフリッパーを叩いた。何か思いついたようだ。
「そうだ!僕、シュレーターズカチューシャをもう一つ持っています!きっと喜ぶはずです!」
「阿照さんは、シュレーターズのファンではないと思うがな……」
王の言葉も気にせず、景布は自分のボストンバックの中を漁り出した。
「あれ……ない。奥の方に入っているのかな」
景布はシュレーターズカチューシャが見つからず、バッグの中から色々なものを出しては地面に並べている。魚飴、魚ペン、魚手帳、小石、魚ガム……。……小石……?並べられたものの中に、灰色の小石がある!
「景布さん、この小石は!?」
「ヌルイ区の僕の住む地域で取れる小石です。上京するのは初めてなので、お世話になった人に差し上げようかなと思っていくつか持ってきたんです。まぁ、僕はまだ小石に興味がないんだけど」
「これだよ!」
王は、シュレーターズカチューシャを揺らした。
和解の希望が見えた王と景布は、阿照の店に堂々と入っていった。
「あれ~、阿照店長はいないんだね。そこの豆絞りの方は、新しいバイトの方かな?」
王の声はわざとらしが、傷心の阿照は気にならないようだ。
「……いらっしゃい」
豆絞りの奥から、王をチラリと見ている。
「バイトの方、お名前は?」
「あ……じゃなく、や、山田です」
山田に扮した阿照が言った。仮称、山田阿照である。
「山田さん、実は、さっき、阿照店長に悪いことしちゃってさ。お詫びの品を持ってきたんだけど。いないなら渡しておいてくれないかなぁ」
「これです」
景布が、小石を山田阿照に見せると、山田阿照は一瞬でそれを奪った。
「いい小石だぁ~」
灰色の小石にイチコロだ。うっとりとしている。
「山田さん、阿照店長に渡しておいてね。まさか、あの人格者の阿照店長が怒っているわけないと思うけど」
「当たり前です!阿照店長は、求愛ダンスが上手い、最高にカッコいい、頭脳明晰でモテモテの人格者のペンギンですから」
山田阿照は、小石から目を離さずペンペンと答えた。小石が良く見えるように、無意識に頭の豆絞りをずらしている。すっかり黒い顔があらわだ。
「ところで、阿照店長から聞いていないかな?隣りの皇帝さんのこと」
「あぁ、皇帝さんね。皇帝さんは、久々に結婚しにゴッカン区のさらに僻地に行ったよ」
「やはり」
皇帝ペンギンは、真冬のゴッカン区のさらに寒い辺境の地にわざわざ赴き、見合い・結婚・子育てをするという珍しい習性を持つ。しかも、氷点下の吹雪の中で絶食をして数ヶ月過ごすのだ。なので、この結婚行事に参加するのには、体重を増やし、脂肪を蓄えるのが必須条件なのである。皇帝が、おさかな忘年会から異常な食欲で体重を増やしていたのは、このためであった。
「店が忙しいから、結婚に間に合うか焦っていたよ。出掛けるのが真夜中になったみたいだね。それに、皇帝さん、太り過ぎで栄養過多になって、鼻血もよく出てたし。あ、単に興奮していたせいもあるね。あと、よくおさかなを飲み込まずに噛んでしまって、クチバシが血まみれになっていたりもしたな。エンペラーペンギン族って大変だよね。…… それにしてもいい小石だぁ……」
山田阿照は、小石を見つめながら一気に喋った。
皇帝の結婚・鼻血・魚の血、そして、皇帝はとても興奮し焦っていた……。ピースがはめ込まれ、ついに謎が明らかになった。おそらく、皇帝は、店を深夜に出る時に、暗闇で鼻血を出し、さらに焦って魚を噛んでしまった。それらの血が、張り紙を貼る時に誤って付着してしまったのだろう。解決してみれば些細なこと。血痕の理由は結婚、単にそれだけのことなのだ。
「そう言えば……」
王はやっと思い出した。数年前にも肥え太った皇帝が「結婚してきます」と言い、数ヶ月間、店を閉めていたことを。あの時は、おさかなフラッペはまだ発案されていなかったので氷屋もそれほど忙しくなかった。なので、今回とは違い、用意周到に休みに入ったはずである。
謎が解けた王は、晴れ晴れとした顔で山田阿照に向かって言った。
「ありがとう、阿照さん!」
「うん、王さん、いいよ」
山田阿照は小石から目を離さずに答えた。
王と阿照が話している間、景布はというと、夢中でシュレーターズのプロマイドを何枚も選んでいた。選んだプロマイドをレジの山田阿照に差し出す。
「山田さん、これください」
「山田じゃないよ、阿照だよ。はい、毎度あり」
「支払いは、この小石でいいですか?」
景布は、灰色の小石をもうひとつボストンバックから出した。
「もちろんだよ!」
「あ、あと、さっきの盆踊り、僕にも教えてください」
山田阿照は、ハッと気づくと、豆絞りを目深に被り直した。
「なんのことかな?僕は、バイトの山田だし。よく分からないよ」
こうして、皇帝の失踪の原因が判明した。皇帝の店がしばらく冬季休業なのは残念だが、皇帝は今、とても辛く、そして、とても幸せな気分になっていることだろう。景布はというと、シュレーターズのプロマイドを予想外に入手できたことに満足し、また数ヶ月後におさかなフラッペを食べに来るので、その時はシュレーターズのライブを一緒に行こうと王と約束をして帰っていった。そして、皇帝の無事を確認し、安心した王はすっかり忘れていた。貴族に皇帝のことを報告することを。そして、貴族がどのオスペンギンよりもはるかに強くたくましいことも忘れていたのである。
(第6章 皇帝のいない世界 おわり)
※次回は「第7章 恐ろしい敵とクラゲくんの秘密」です。お楽しみに!
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第6章 皇帝のいない世界(4)、いかがでしたでしょうか?
ゴッカン区の僻地で結婚、そういうことだったのか。「謎はすべて解けた」などの決めセリフは口にしないのもミステリアスな黄頭ボブ尾さんらしくていいような、「血痕の理由は結婚」とクールにダジャレをキメて欲しかったような……。そして皆さん、阿照さんに「盆踊り」は禁句。それがホドヨイ区を楽しむコツですのでお忘れなく!次回からは黄頭ボブ尾&クラゲくんがますますの大活躍をする新しいお話です。
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