【第六話】
地域おこし協力隊の仕事は、いろいろと気を遣うことも多く大変だけど、楽しかった。
何より、大好きな山の魅力を語るだけで、仕事の大半は終わったような気になった。
さおりは、広報の最前線に立ち、登山やアウトドアをきっかけに町に来る人をとにかく増やすことを求められた。
三年前、松浦に声をかけられてから、サリーとして活動してきたさおりにとって、集客は思ったより難しくなかった。何も進んでいなかったような毎日は、知らない間に少しだけその先に進んでいたのかもしれないと思った。馴染みの編集者との対談を企画したり、サリー主催のグランピングイベントや登山ツアーも立ち上げた。都会からのみならず、地元からも、東京の香りのするそうした催しに、人は集まってきた。忽ちさおりはこの町に欠かせない人になった。
張り合いがあった。手ごたえがあった。動いた分だけちゃんと前に進んでいる気がした。
そしてプライベートも充実した。恋人ができた。
イベントの設営で知り合った、地元の商工会議所に勤める5歳下の穂高は、地元の高校、大学と進学し、祖父母と両親と大きな実家で暮らしていた。華やかさや力強さとは無縁な、黒縁眼鏡の似合う男だった。
東京の暮らしでは、どんなに歩いても決して手に入れることができなかったものが、ここにいるだけで次々と得ることができた。何でもあるけれど、人も多くて、何をするにもどこへ行くにも誰かの後ろに並ばなければならない都会の暮らしより、ここはずっと自由で、ずっと有意義で、生きている感じがした。
移住してほどなくすると、有楽町でさおりをこの町に繋いでくれた平川を含め、この町には何人かの移住者がいることを知った。移住者だけの集まりもあった。それはそれで、地元民と関わる以上に疲れることも多かった。移住してすぐ町に溶け込むさおりは、彼らの中でも少し浮いた存在だった。別にそのままでもよかった。でも、移住した者同士にしかわからない違和感や不安、不満はあったし、そこでしか入手できない情報もあった。だから、定期的に開かれる飲み会にも参加した。
「そもそもさア、サリーは何で移住しようと思ったのよ」
酔った小林が絡んできたのも、いつものことだった。
「山の近くに住みたかったから」
「えー。なんか嘘くさい。都内だってさ、山はあるじゃん。ここは確かにそこら中に山はあるけど、登る山ねえよな。都内のほうがここより充実してるだろう」
「えー、そういうもの?」
ネルシャツ平川が、二杯目の焼酎のお湯割りを自分で用意しながら尋ねる。
「そうなんスよ。ここは自分の車がないと何もできねえけど、あっちはバスや電車で登山口まで行けるし」
「そうか。高尾山とか、まさにそうだね」
「しかも、誰かが作ってくれた地図とか情報がめっちゃあって簡単に入手できるから、苦労することなく、バリエーション豊富な山に行けるんスよ。でもここいらは、そういうわけにはいかんじゃないですか。ちょっと登れば3000メートル級の山だし。低いのはそもそも生活のための山で、〝山登りしまーす〟なんてとこじゃねえし。いずれにせよ、おいそれと登れる山はないんスよ」
「そういうもんかねえ。小林ちゃんも、山やってたの?」
「オレ? まあそれなりに。丹沢とか、結構好きで行ってたっス」
「いいですよね、丹沢。私も大好きですよ」
「サリーってさ、ガクケイに連載持ってるんだろ? 都内に住んでるほうが便利なんじゃないの? いろいろと」
「今はメールでもやり取りできるので。どこにいても一緒なんですよ。ネットが繋がりさえすれば」
「へー。でもさア、39でさア、一人で田舎に移住しようなんてさア、訳ありに決まってるよね。オトコ絡み? 教えてよ」
四十女が一人、田舎に移住したら訳あり、それも色恋沙汰と思われるのであれば、四十男が一人、田舎に移住しても同じように思われるのかと言えば、そうではない。その違いはなんだ。
田舎の狭い価値観でそういう扱いを受けるのであれば、まだ、そういうものだと慰めることができる。でも大抵の場合、この手の偏見をぶつけてくるのは、都会から移住してきた同胞だ。
小林は、都内の浄水器メーカーで営業をしていた男で、歳は50歳手前くらい。今は地域おこし協力隊三年目として、町の売りである天然水をPRする事業に携わっている。同じ水を扱う仕事だからと意気揚々乗り込んできたものの、なかなか業績が伸びず苦戦していた。
「いいじゃん。減るもんじゃなし。何かあったんだろ? それ、あいつ知ってんの? あのメガネの。あいつと結婚すんの?」
さおりが返事に窮していると、平川が、「まあまあ、小林ちゃん。さおりちゃん、困ってるよ。生きてればいろいろあるよ。言いたくないことだってある。そっと見守ってやろうじゃないの」と言った。
平川は、この町に住み始めて15年になる移住の先輩だ。
ただ彼の場合、小林やさおりのように地域おこし協力隊としてではなく、両親の介護が必要になりUターンした奥さんに帯同されてこの町に住むことになったもので、いわば、地元民と同義の存在だった。
親の介護のために、仕事を捨ててまで妻に同行する心優しい夫として、平川は町の人に受け入れられ、親戚のコネで農協に職も得た。移住当時、小学生だった一人息子も順調に育ち、昨年、役所に就職した。平川は、その息子の紹介で〝移住のプロ〟として、農協の仕事が閑散期になる、年末の二か月間だけ、週末、有楽町にあるふるさと回帰支援センターに派遣されていたのだった。
「いいよなあ、女は四十でも結婚とかいう逃げ道があって……。俺はさア、三年目なんだよ。あとがないんだよ」
一般に、地域おこし協力隊は、一年契約で仕事を与えられ、最長三年までしか活動することができない。全てを捨てて移住しても、大きな成果を残して〝この町になくてはならない人〟になるか、個人的に人脈を広げて〝地元から求められる人〟にでもならない限り、安穏と暮らすことはできない。移住者の醸し出す物珍しさや新鮮さは、時の経過と共に、物珍しくも新しくもなくなる。移住者の持ち込む文化は、一時の清涼剤や変化をもたらすきっかけにはなっても、持続的に求められるものにはなり得ない。田舎には、脈々と受け継がれてきた田舎の文化がある。
郷に入りては郷に従え。
田舎は、内の人には変わらないことを課すのに、外の人には変わることを求める。
ここに住むことを許されるためには、ここに染まり、ここに貢献し、ここに馴染まなければならない。変わらないまま居続けることを許してくれるほど、田舎は優しくはないのだ。
「大丈夫だよ。小林ちゃんの頑張りはみんな知ってるから」
「平川さんはいいっスよね。奥さんと離婚しない限り、ここでの居場所は担保されてるし」
「おいおい。俺にまで絡むなよ」
「どれだけ頑張ったって、結果が出せなければ意味がない。仕事は、過程じゃない、結果なんス」
「いや、そうでもないよ。どんなに頑張っても、うまくいかないことはあるから。小林ちゃんがここに居たかったらいくらでも居ればいいさ。誰も出てけなんて言わないよ」
小林にとって、平川のその慰めは無だ。
何のあてもなく「ここに居たいから居ます」と言って、そこで生活ができるくらいなら、こんな愚痴は出ない。奥さんという隠れ蓑がある平川には、小林やさおりの気持ちはたぶんわからない。事実、田舎に仕事はない。移住者が望むような仕事は。さおりがリアクションに窮していると、突然、小林が掌を畳に押し当ててさおりに向かって頭を下げた。
「頼むよ。アンタのその人脈でさア、水の大口の買い手を紹介してくれよ。いるだろ?」
「そんな……。私、そんな人脈ないです」
「またまたア。協力隊の仲間じゃん。協力し合おうぜ」
少し薄くなった小林の天頂部に落としていた視線を外すと、さおりは、平川をはじめとするそこにいる他のメンバーが、自分を見ていることに気づいた。その眼は、なんとかしてやってくれよ、と言っていた。
【第七話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第六話、いかがでしたでしょう。パタパタと事が展開し、はまるべきところにはまり、進行し、加速する。さおりの充実した日々。しかし。
楽しかったよね。でも、いいことばかりではないよね。でも、経験してよかった。でも……「糾える縄のごとし」なプラスとマイナスって、簡単にひっくり返るというのともまた違って、どちらにも傾かずにフラフラユラユラそこにいるものかもしれないなぁ、と思わされるエピソードです。さおり、何とかするのか、何とかなるのか? 次回もどうぞお楽しみに。
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