おまえが原爆を落としたのだと言われたら、わたしは否定する。
「待ってくれ。冗談じゃない!」
あなただってそうだろう。自分は原爆を落としていない、だから何の責任もない、と言うだろう。
でも本当だろうか。そう言いきれるだろうか?
ここに1冊の本がある。 『わたしのせいじゃない』 (レイフ・クリスチャンソン文 にもんじまさあき訳 ディック・ステンベリ絵 岩崎書店)
細い線だけで描かれた地味な小さな絵本だ。
一人の子が泣いている。いじめがあったらしいのだ。しかし順番に証言する他の子たちはだれも自分の責任を認めない。
「ぼくはしらない」「わたしはみてただけ」「みんなやってた」「ぼくもたたいた、でもすこしだけ」「かわったこだからいけないんだよ」そして一様に「自分のせいじゃない」。
これはいじめの一典型だろう。みんなが関わったが、だれも自分の責任だと思っていない。
そして本は終盤意外な展開を見せる。子どもたちの言い訳がそろったところで、巨大な字で「わたしのせいじゃない?」と問いなおし、唐突に文字のない写真だけのページに続く。
その内容は恐ろしい。戦場、事故現場、処刑場、核爆発のキノコ雲など。
学校のいじめで始まったが、著者は明らかに、自分の責任を認識しないことは地球規模の巨大な悲劇につながっていくと訴えているのだ。
「本当にあなたの責任ではないのか? あなたとは関係ないのか?」
戦争も、環境破壊も、人種差別も、死に至るほどの食糧不足も。
あなたとは言うまでもなく読者である。
人は自分のしたことに責任を持たねばならない。人の足を踏んだら謝る。借りた本をなくしたら弁償する。
では、自分がしなかったことについてはどうか?
いじめを止めなかった子に責任があるなら、わたしたちにも数え切れないほどの責任がある。
世界にはあふれるほどの悲しみや不正義があり、それをわたしたちは知っているからだ。
知っていながら何もしなかった者は、海の向うの貧困や差別や戦争に責任があるのか?
知っていながら少ししかできなかった者はどうか?
自分の持っているもの、財産も能力も時間も、より恵まれない人たちのためにすべて捧げろと言うだけならたやすい。
しかしだれが世界を背負って立てるだろう?
だれが国を、民族を背負って立てるだろう?
そんな大きな個人がいるだろうか?
一人では明らかに無理だ。みんなで少しずつ背負うしかないのだ。それぞれの力に応じて。
責任があるかないかの二分法はやめよう。押しつけあいになるだけだ。
全てかゼロかで考えるから「わたしのせいじゃない」と言ってしまう。責任を認めて一人で重荷を背負わされるのが怖いから。
この世に存在するだけでわたしたちはみなゆるやかな責任を負っているのではないか。
世界を悪くするよりは良くするように生きる責任を。細胞にふりつもる微粒子のように。
自分には何ができるのかを考えたい。
☆ ☆ ☆ ☆
※ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・詩・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter>