事務所に設置されたコーヒーメーカーからコーヒーを注ぎ、それを飲みながら私はエリの到着を待っていた──サイバー空間に侵入し、そこで知り得た情報を彼女に伝える為だ。
窓の外を見ると、夕暮れも近く、空を飛び回るドローンはヘッドライトを照らし始めていた。
数十年前であれば、ここ東京の空は排気ガスでくすんでいたというが、窓から見える空は実に澄んでいる。
現在では、排気ガスを排出する乗用車は博物館でしか見る事が出来ない。
人類は化石燃料への依存をやめたのだが、森林破壊や資源の枯渇までは止める事が出来なかった。
前世紀までは多様だった動植物の種は半減したが、同時に人々の数も減り始める。
日本だけではなく、世界の人口は目に見えて減少をしており、そのお陰でここ都内も随分と空気が綺麗になった──昔の学者や識者が予言したようには、世の中は変わりはしなかったのだ。
かつて科学者は、世界文明のAI化とロボットやアンドロイドの普及で人々は労働から解放され、さすれば暮らしのゆとりが出るだろう、と説いた。確かに、ある程度の労働からは解放されたのだが、要するにそれは失業者を大量に生み出すという結果に転じてしまったのだ。
私は仕事柄、犯罪捜査も数多くしている。実に様々な現場を見てきた。その上で悟ったのは、世の中は決して予想どうりになんかはならない、というある種の法則だ。
この法則を学者に説明するのは骨が折れる。何故なら、この法則には科学的裏付けはなく、ただ当事者の現場での経験と勘に基づいているに過ぎないからだ。
昔の経済学者はこれに近いものを『神の手』と呼んだらしいが、確かにそうとしか言いようがない──残念ながら、いくら科学や理性や知性を総動員した所で、予想どうりの結果には至らないのだ。
(恐らくはそれが人類の絶望であり、もしかすれば希望であるのかもしれないが…… )
科学技術が進み、AI化も進み、確かに例えば医学は目を見張るほど進歩した。
しかしそれで人々の幸福と平和が達成された、とは言い難い。
依然として貧富の差は開いたままだし、紛争も起こるし、犯罪も減ってはいない。
そして、これが究極の『予想外』の事態であるのだが、どういう訳か人類は急激に数を減らしてきている──そう、世界規模の少子化の為だ。
確かに人類は今までにない程、科学技術を発展させたのだが、それと同時に人々は活力を奪われたかのようにも見えた。
自分達が住んでいる地域から子供がいなくなり、やがては人類が先細りしていくのを知り、人々がどうなるか、文化はどうなるのか、自分たちの精神がどう変化するか、というのを誰しもが今経験をしている最中なのだ。
そして、世界規模の少子化、人口減少に対処すべくヤマガタ博士は研究を進めている。
どうやら私もその渦中に巻き込まれてしまったようだった。
高層ビル群の狭間に沈みゆく夕日を眺めていると、ノックが聞こえたので、私が「どうぞ」と告げると事務所のドアが開き、アンドロイドのエリがいつもの優雅な仕草で入ってきた。
やはり、どう見てもエリはアンドロイドには見えない。
アンドロイドが疲れる筈はないのだが、私が儀礼的に席を進めると、エリも儀礼的に椅子に腰掛けた。私は机の引き出しから、コンピューターからプリントアウトした資料を取り出し、それをエリの前に置く。
エリは資料を手に取り、高速スキャナーのように素早く、その資料に目を通し始めた。その様子を窺いながら私は聞く。
「そこに書かれた『エリ』という人物は誰ですか? ……その娘は47年前の2033年に、白血病の為19歳の若さで死んでいます」
エリは資料を手に考え込むように、黙り込んでいたが、アンドロイドだから当然なのだろうが表情一つ変える事なく答える。
「……コモリさん、これは私の事です。より正確に言えば『生前』の私です。そして、ここに書かれている『レイ』は私の兄です」
「やはり、そうでしたか。つまり、AI技師のレイは妹のエリが死んだ後、彼女に似せてあなたを作ったのですね ? 唯一の肉親である妹の復活を望んで」
「はい、そうです。でもそれだけでは、ありません。兄はエリに関するありとあらゆる情報、つまりエリの性格、考え方、癖、小さい頃からの記憶を、全てデータ化して今のこの体にインストールしました。ですので、私の歩き方、立ち居振る舞い、喋り方などは完全に『エリ』のそれなのです……」
……なるほど。このアンドロイドがあまりにも人間的に感じるのは、そのような訳があったのだな、と思いながら改めて『エリ』を観察してみた。
しかし、何か腑に落ちないので、それを当のアンドロイドに聞いてみた。
「しかし、それでもあなたはアンドロイドなのですよね?いくら人間に似せても、心も魂もありません。ただ、エリそっくりの真似をしているだけなんですから。レイほどの技術者が、そんな事で満足するのでしょうか? 言葉は悪いが、あなたはエリに似せた人形に過ぎません。嬉しそうな表情だって浮かべられるでしょうけど、喜びはない。泣く事だって出来るでしょうけど、悲しくなんかない」
私がそのように言うと、エリは悲しそうな顔になったが、これだってデータに基づいて反応しているのだろう。しかしその表情は、やはりハッとする程生身の人間に近いものだった。
その上、エリは少し怒ったような口調で私に言った。
「勿論、兄はそれだけでは満足はしませんでした。兄はクローン技術を使って、私を復活させるつもりだったのです。兄は生前の私の遺伝子を抜き取り、冷凍保存していました。そして、新たな肉体が再生されれば私の記憶を抜き取り、その肉体へと移し替えようと考えていました……」
「フム、そうかと思いましたよ。だがしかし、レイはそれを成功させる前に死んでしまったのですね? 」
窓の外を見ると、すっかりと夜の帳が下りていた。
高層ビル群の上空には、満月が浮かんでいる──私は満月を見ながら、何かを思い出しそうな予感を感じていた。
何故だか、月を見ていると頭の中に獰猛な狼の姿が浮かび上がり、すぐに消えた。
エリも窓の外の月を静かに眺めていた。
エリは、私の方へと顔を向き直し、静かに語りかけるように私に告げる。
「いいえ、死んでいません。兄は生きています。……ヤマガタ博士には言っていないのですが『敵』とは兄の事なのです。レイが博士の研究を阻止しようとしているのです。博士の『ドリー計画』を」
――――つづく
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