オオカミになった羊(後編17)

追っ手が来る前に、なるべく羊村から遠く遠く離れようと、ソールとアセナは、夜の森を歩き続けます。
二匹はこの時、初めてお互いの姿を間近で見ており、おまけに手まで繋いでいるので、何をどう話せばいいのか思いあぐねていました。
淡い月明かりが射す獣道を二匹が進んでいきますと、ふいに行く手の茂みからガサリと音がしたので、二匹は立ち止まりました。
歩みを止めると、辺りは静まり返り初夏を告げる夜の虫の音が響き渡っています。
ソールはアセナの手を強く握りしめ、息を殺しました。
ーーアセナは背から弓矢を取り出し、そして用心深く茂みに向けて狙いを定めます。

すると茂みの中から声がしました。
「ーーぼっちゃま、まってください。私です、マーナガルムです ! 」
そう言いながら、マーナガルムが茂みから恐る恐ると姿を現します。
マーナガルムはミハリが最も信頼を寄せる腹心で、小さい頃からアセナはマーナガルムの世話になっていました。

マーナガルムは、他のオオカミ達からは『臆病者』と言われ蔑まれてますが、それは彼が無駄な争いを好まないからであって、決して無能なオオカミではないのをミハリもアセナも知っています。
残念ながら、失敗に終わったのですがオオカミ族と羊村の和平交渉にマーナガルムは大いに貢献したのです。

しかしアセナは気を許す事なく、弓矢を向けたまま、マーナガルムに聞きましたーー
「僕たちを追ってきたのか ? 」

「いえ、違います。ここの森はかつて、坊ちゃんが小さい頃よく遊んでいたので、もしかしてここを通るかと思い、待っていたのですよ。私は、あなた達を逃がしてあげたいのです。じきにフェンリルが部下を連れて追ってくるでしょう……」

アセナは、ようやく弓矢を下ろし、背にしまうと再び左手でソールの手を握りました。
「追ってくるという事は、フェンリルが僕の動きを知っていた、という事だね」

「ええ、フェンリルはぼっちゃんが羊と逃げるのを知っています。そしてフェンリルはぼっちゃんを『裏切り者』とさえ言っているのですよ。フェンリルの動きはどのオオカミよりも素早く、鼻もききます。ミハリでさえ、フェンリルの動きは止められませんでした。……ぼっちゃんも知ってのとおり、フェンリルの狙いは羊村の領土を我が物にする事なのです。その為にはなんだってするでしょう」

マーナガルムがそのように言うのを聞き、ソールは青ざめ、そして恐怖感を鎮める為アセナの手を更に強く握りました。
アセナは大きな耳を激しく揺らしながら考え込み、マーナガルムに聞きます。

「……いくら僕でも、フェンリルの戦闘力にはかなわない。僕たちはどうすればいい ? 」

「私は集落に戻り、フェンリルの気をそらします。ぼっちゃん達は、ジャッカル共和国へ逃亡した、とウソの報告をします。その間、二匹はなるべく急いで逃げてください。捕まればフェンリル達に八つ裂きにされるのは間違いないでしょう」

「分かった、ありがとう。マーナガルム、恩にきるよ。僕たちはメリナ王国へと行くんだ。どれだけ急いでも、メリナ王国へはここから三日三晩はかかるだろうね……」

アセナはマーナガルムに向かってひざまずき、尻尾を垂れました。
ひざまずき尻尾を垂れるのはオオカミにとって、相手への最大限の賛辞なのです。
ソールもそれを見て、同じようにひざまずき、白くて長い尻尾を垂らします。
二匹は立ち上がり、その場を去ろうとするとマーナガルムがアセナを呼び止めて、大きな皮袋を手渡しました。

「ぼっちゃん、これはあなたが山で育てていたジャガイモなどの野菜です。小さい頃から、皆に内緒で食べていたでしょう ? これだったら、そちらのお嬢さんも食べれますからね。これだけあれば三晩はもつでしょう。ーーあなたの父ミハリは、オオカミ族の指導者という立場上、残念ながら今回はもうこれ以上は手助けはできないのです。どうぞ、道中お気をつけて。……月神の恵みと導きがあなた方にありますよう」

マーナガルムはアセナとソールが森の中へと入るのを見届け、姿が見えなくなると、その場を後にしてオオカミの集落への帰路につきました。
時折遠くから軍事演習をしているオオカミの遠吠えが聞こえてきますが、あとは虫の音しか響かぬ静寂が森を包んでいます_____

* * * * *

ーー太陽寺院のアリエスは、メリナ王国への亡命が認められ、国王から直々に小さな寺院を王都バロメッツから少し離れた所にあてがわれました。
太陽神は全ての羊が崇めている絶対神なので、勿論、ここメリナ王国でも太陽神が信仰の対象なのです。
……しかし、アリエスはメリナ王国へ来てからというもの、釈然としない居心地の悪さを感じ取っていました。
しばらくメリナ王国にいるうちに、アリエスは居心地の悪さの正体に気づきます。

メリナ王国の羊達は、羊村の信仰を亜流の教義だと信じていて、見下しているのが次第に分かってききました。
羊村の老羊や保守派の羊達は、オオカミを聖なる種族としているのですが、ところがメリナ王国ではオオカミは『悪しき生き物』であると信じられているのです。
ーー『オオカミは羊に災いをもたらす』とメリナ王国の古い経典の中に記されているのを、アリエスは見つけました。

――――つづく

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