「これは美味ではないか!! まったりとして、こってりとして、舌がとろけるようだ! シェフ、これは何という料理なのかね? 」
悪魔が、ナプキンで口を拭いながら、厨房に向かって声をかけた。
厨房から顔を出したシェフは、13番テーブルに座っている常連客を見ながら、顔をほころばせた。
「これはこれは大魔王様、いつも我がレストランをご利用いただき光栄に存じます」
「シェフ殿、今日のメインディッシュは格別だ!! 舌触りといい、血のしたたるような芳香といい、今まで食した料理の中でも一番だ。もう一度聞くが、これはなんという料理なのか?」
シェフは周りを見渡しながら、声をひそめながら悪魔に言った。
「……大魔王様、それは『妬み』という食材を使用しておりまして、わがレストランの中でも最高級の食材なのですよ」
「ほほう。『妬み』という食材かね。シェフ、何故いままで、これを出してくれなかったのかね? この料理のおかげで、ワシは100年若返ったようだ! 」
悪魔がそのように言うのを聞き、シェフは、まんざらでもない表情を浮かべた。
「お気に入っていただき、光栄であります。なるべく大魔王様には、これを御召し上がりになっていただきたいのですが、しかしながら、この『妬み』という食材を作るには、少々手間と時間がかかるのですよ…… 」
「ほう? どのような手間と時間がかかるというのか? 」
再びシェフは、誰かに聞かれていないか、辺りを見渡した。
「……大魔王様は『フォアグラ』という食材をご存知でしょうか? 」
「勿論だ。たしか、ガチョウや鴨の肝臓の事ではなかったかな? 」
「さようでございます。基本的には『妬み』はフォアグラと同じような作り方をするのですよ。 ……ガチョウや鴨を地中に埋め、動けぬようにした上で、肝臓を強引に太らせた物を、フォアグラと言います。私どものレストランでは鴨やガチョウではなく、……人間を使用してございます」
シェフがそのように言うのを聞き、悪魔は目を輝かせた。
「ほほう、すると、これは人間の肝臓なのかね? 」
「いえ、これは元々は人間の『羨み』という部位なのです。この『羨み』という食材も調理致しましてお出しする事は出来るのですが、しかし『羨み』というのはそのままでは、限りなく自然食材に近いのです。大魔王様は勿論 …… 」
自然食材、という言葉を聞き、悪魔はここぞとばかりに、自説を語り始めた。
「聞くまでもなかろう? ワシは自然食材は好かぬ。大体、ワシは自然食や健康食ブームというのは嫌いでな。料理の醍醐味というのは『退廃』なのだよ。デカダンスこそが料理の本質ではないかね? 」
シェフは悪魔に媚を売るように、手をすり合わせながら言った。
「存じ上げてますとも、存じ上げてますとも。 ……ですので我がレストランではこの『羨み』を最低でも、3年は人間の体内で寝かせて発酵熟成させるのですよ」
悪魔は目を細めながら、舌舐めずりをした。
「ほう。そうすれば、『妬み』になるのかね? 」
「さようでございます。時間をかければ、かける程、『妬み』は味わい深くなります。これには熟練した技が必要なのです」
「それは如何なる、技なのか?」
シェフは姿勢を正し、もったいぶりながら答えた。
「自然な状態であれば、人間はすぐに『羨み』を口から吐き出してしまいます。
ですので、私どもは人間に自分は『羨み』なんか持っていない、と思わせるのです。
…… これがなかなか、高度な技術を必要としましてね」
「もしや、ガチョウや鴨のように、動けぬようにするのではないかな?」
「流石、大魔王様! さようでございます。人間は動けなくなると、ストレスが溜まり、そうすれば『妬み』はますます大きくなり、脂ものってくるのです」
「聞けば聞く程、よだれが出てきそうだよ!! 」
「大魔王様、このお話は人間達には聞かれぬようにご留意くださいませ…… 」
「どうしてかね?」
シェフは悪魔の耳元で、ささやくような声で言った。
「もし人間達が自分に『羨み』がある、と気が付けば、すぐにそれを口から吐き出してしまいます。…… しかしながら、私どもには何千年と受け継がれてきた、秘伝の裏技がございます」
「ほう、それはすごいな。どのような裏技なのか聞かせてもらえぬか? 」
「勿論ですとも。 それは種を明かせば、実はとても簡単な事なのです。
『羨み』はとても不自然な物だと思わせればよいのです。
羨ましいという感情は、本当はとても自然な物なのですが、人間達に羨ましがる事は、恥ずかしい事だと思わせれば、人間は羨みを溜め込んでしまうのですよ。
…… 私共はこれに成功しました。
おかげで、人間の社会や宗教は『羨み』を『間違った』感情として禁じたりしています。しかし羨みを禁じた所で、それは無くなる事はなく、長年熟成された後に『妬み』に変化するのです。
その結果、私どもはあなた様に、この最高級食材を供給する事が出来る訳です」
「シェフ殿!! 君はマイスターだ!! 君のような人材こそが、本物の職人と呼ぶにふさわしい!! 」
悪魔は、シェフの知恵に感服し、手を叩きながらシェフを褒め称えた。
「ありがとう存じます、大魔王様。ところで、本日のデザートなどはいかがでしょうか…… ?」
「勿論だ、いただくとしよう」
シェフが指を鳴らすと、厨房からウエイターが皿を持って現れ、悪魔が座る13番テーブルの上に置いた。
プリンのように見えるそのデザートには、血のしたたるような真っ赤なソースがかかっていた。
食欲をそそる、なんとも言えぬ香りが辺りを包み、悪魔は喉をゴクリ、と鳴らした。
「これはいったい何なのかね? 一見するとプリンのように見えるが? 」
「大魔王様、これは我がレストラン一番の自慢の逸品、『憎しみ』でございます…… 」
悪魔はスプーンを手に取り、『憎しみ』をすくい上げ、口の中に入れた。
みるみる悪魔の顔色がよくなり、歓喜あふれる表情へと変化していった。
「なんと美味な!! さながら、滋養強壮剤のようではないか! 」
悪魔がそのように言うのに、シェフは気をよくした。
「大魔王様、その『憎しみ』は、食材として物珍しい物ではありませんので、サービスとさせていだきます。
人間が我々に食材を提供してくれるからこそ、私どもの商売も成り立つ訳ですな。いや、まったくありがたい事です …… 」
そのようにして、レストランの夜は更けていった。
レストランの外では、今日も人間達が『憎しみ』や『妬み』などの諸事情を抱えながら、大昔から変わる事のない営みを繰り広げていた。
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