オオカミになった羊(後編19)by クレーン謙

ーー羊村とオオカミ族、双方を裏切った形でメリナ王国へと逃亡してきたソールとアセナ。
事の成り行きを聞いた大巫女アリエスは、聖堂の地下室を隠れ場所として二匹に用意します。

ソールは羊ですから、外へ出ても誰も不審には思いませんーー誰かに会ったとしても「ああ、
この娘は私の姪よ」とアリエスが言いさえすれば、それ以上は誰も追求しないでしょう。
しかし、アセナはオオカミです。
たとえ羊の毛皮を羽織ったとしても、じきに正体が周囲に知れてしまうでしょう。
そのような訳で、時折ソールは町に買い物には行くのですが、アセナは町の羊たちが寝静まるまでは、地下室より一歩も出れない、という不自由な生活が始まりました。

「ーーもともと僕は夜行性の動物なんだから、大丈夫だよ」
とアセナは言うのですが、しかしこの国が彼には決して安全な所ではないと、アリエスには分かっていますーー何故なら、メリナ王国の羊たちはオオカミは《災いをもたらす動物》と信じており、忌み嫌っているのですから。

ある夜、町の羊たちが寝静まったのを見計らい、アリエスは二匹を聖堂の裏の小部屋へと連れていきます(羊は元々太陽が昇っている間にしか起きていないのですが、アセナと一緒に寝るようになってから、ソールは夜遅くまで目を覚ましているのが多くなりました)。
……アリエスがろうそくの火を灯すと、部屋の中が薄暗く照らし出され、その小部屋の奥に、大きなオオカミが背を曲げこちらを睨んでいるのが見えましたーーアセナとソールは、飛び上がるほど驚き後ろへと後ずさりします。
しかし、よく目を凝らしてみれば、そのオオカミは生きてはおらず、身動きひとつせぬ剥製でした。
オオカミの目も、本物の目ではなくガラス玉。そして、その胸には深々と剣が刺さっています。

「ーー大昔、メリナ王国はオオカミの集団による襲撃を受けたのよ。多くの羊が死に、そして食われてしまった。あと一歩の所でメリナ王国は滅びる所だったけど、ある日勇者が現れ、オオカミの首領を剣で刺し殺し、そしてオオカミたちを撃退した。その剥製は、その時仕留めたオオカミの首領だと言われているわーーその時以来、メリナ王国では《災いをもたらす動物》としてオオカミを悪魔と同等に見ている……。オオカミは悪魔の使いだと、記憶にとどめる為に200年前この寺院が作られたのよ」

石造りの小部屋でアリエスの声が響き渡る中、アセナは恐る恐ると剥製のそばに近づきます。
アセナはオオカミの胸に刺さった剣を、ゆっくりと抜き取りましたーー剣は古びていますが、錆び付いはおらず、獰猛そうな光沢を放っています。

「ーーその剣は《オオカミ殺しの剣》と言われていて、その剣を使えばどんなに強いオオカミをも退治できると信じられているわ。アセナ、分かった?この国は決して、あなた方には安全ではない事が。でも私は羊とオオカミは元は同じ動物で、いつかは共存できると信じているーーあなた方が結ばれる日、羊族とオオカミ族の戦も終わるだろうと。……伝説が正しければ、太陽と月はいつかは同じ空で輝くわ、きっと。闇がない所には光はなく、また光がない所には闇も存在できないでしょうから」

アリエスがそのように語るのを聞き、ソールはアセナの手をギュッと強く握りしめます。
ーー二匹で寝食を共にするうちに、ソールはもう悪夢を見なくなりました。
アセナと一緒にいるだけで、冥界の亡者達が現れなくなり、今やソールは身も心も満ち足りていたのです。
『もう戦争が続こうと終わろうと、わたしにはもう、どうでもいいわ ! わたしはただ、アセナと一緒に居る事ができればいいの……』
そうです、不自由な生活ではありますが、この状態が永遠に続いてほしいとさえ、ソールは思っていました。

しかし残念ながら、ソールが願っているような状態は永遠には続かないでしょうーー何故なら、ソールとアセナを探していたオオカミ軍司令官フェンリルは、マーナガルムの苦労虚しく、すでに二匹の居場所を突き止めていたからです(マーナガルムの嘘はフェンリルにすぐに見破られました)。
フェンリルは今、二匹が潜んでいる寺院のすぐ外の茂みに隠れていて、寺院の中の様子をその大きな耳を立てながら窺っています。

フェンリルはオオカミ族一番の戦士。自らの気配や匂いすら消し去る技は誰よりも秀でており、あのアセナでさえ外にいるフェンリルの気配には気づいていないのです。

「……フン、愚か者め。オオカミの誇りを捨て去り雌羊とねんごろになりやがって。すでにオオカミのカンが鈍っているんだろうよ」

フェンリルはほくそ笑みながら、月神剣を夜空に輝く月にかざしながら、どのようにアセナを外へと誘い出すかを考え始めました。
よく研がれた月神剣は、月の光を浴び、妖しく光を放ちます。
ここは敵地で、しかもメリナ王国軍は強大な軍事力を誇っています。
ーーあまりにも目立った動きをすると、メリナ王国軍が大挙してフェンリルを取り囲むでしょう。
いくらフェンリルが優れた戦士とはいえ、たった一匹で軍隊とは戦えません。
しばらく考え込んでいたフェンリルは、何かを思いついたようでニヤリと笑みを浮かべながら、闇夜の中へフっと、その姿を消しましたーーまるで最初からそこに居なかったかのように。

――――つづく

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