オオカミになった羊(後編22)by クレーン謙

《オオカミ殺しの剣》を握りしめ、アセナは目をつぶりフェンリルの居場所を探り当てようとしますーー頭上には月が輝いており、月光に熱がある筈もないのに、アセナは月光がジリジリと体に照りつけるのを感じていました。
アセナは何処からフェンリルの視線を感じているのですが、もはや自分の五感を頼りにするのはやめました。そんな事では、フェンリルには太刀打ちはできないのです。
オオカミがけっして使わないその剣を持っていると、月神剣とは違った『力』が、握っている柄を通じてアセナの手に流れ込んでくるのを感じています。

……きっと、これはオオカミを憎む『力』なんだろうな。
大巫女アリエスから聞いた言い伝えによれば、この剣は羊の勇者がオオカミを殺すのに用いたのですーーきっと剣の中にはオオカミを憎む『力』が何世代にも渡り蓄えられている。そのように感じ取ったアセナは『力』に身を任せ、相手を討つ事のみを念じながらフェンリルの次の動きを待ちました。

ここで起こっている事は日常茶飯時だと言わんばかりに、モリフクロウが無関心そうにホウホウと鳴き、草むらから夏を告げる虫たちの音色が響いています。
ーー木に縛られたソールはなすすべも無く、顔を引きつらせながらアセナを見守っていました。

右手側に立つ大きなブナの木の裏側に、アセナはフェンリルの気配を察知したのですが、それは罠であるのを分かっていましたーーアセナは騙された事を装い、ブナの木に向かい突進し、不意に向きを変え隣の茂みに《オオカミ殺しの剣》を振り下ろしました。
すると茂みから黒い影が飛び出し、月神剣で斬りかかってきましたーーアセナは素早く身をかわしたつもりでしたが、脇腹あたりを切られたようです。
切られた所をみると、そんなに深い傷ではありませんが、切り口からピンク色の肉が露出していましたーーアセナは両手で剣を握りしめ、態勢を整え直し、深く息を吸い込みました。が、すでにフェンリルは身を隠しており、どこにもその気配が見あたりません。

ーーフェンリルは完全に気配を消しながら、暗闇の中からアセナに語りかけます。
「……学習したな。よくぞ俺が潜む位置を突き止めた。しかし、なんだその大きな剣は ? そんな大きな剣で俺の動きが捉えられるのかね ? 」

フェンリルの言うとおりでした。
あまりに大きくて重い《オオカミ殺しの剣》ではフェンリルの動きについていけるとは思えず、それに足に刺さった矢傷からは血が流れ続けていましたーー次の攻撃でフェンリルは確実にアセナの心臓を月神剣でえぐるでしょう。
体力と集中力が尽きる前に、一太刀でフェンリルを仕留めないと……アセナは自らの気配を消すのを諦め、相手の攻撃を待ち構える事にしました。そして剣を大きく振るう為、剣を右手だけに持ち替え、負傷した足では素早く動けないので、身を屈め次の一太刀に賭けました。

どれぐらい時間が経ったでしょうか ? ふいに木に縛られていたソールが叫びました。
「アセナ、後ろ !! 」

アセナはソールがそう叫ぶのを聞き、何も考えずに右手に持った剣を後ろに向けて、大きく振るいますーー剣が空気を切る音がして、その中に肉を切るような手応えがしました。
宙を見ると、回転しながら舞うフェンリルの腕が。フェンリルの左腕が、根元から切られたのです。
しかし、こんな程度で相手の攻撃がひるむとはアセナは思っていません。
フェンリルの左腕がドサリと地面に落ちるのと同時に、フェンリルは片腕で月神剣を握りながらアセナに斬りかかってきました。

アセナは飛び上がり、その攻撃から身をかわします。
ーー着地をすると、何か様子がおかしいのにアセナは気付きました。
着地をした時の安定が、とても悪いのです。
ソールのほうを見ると、ソールは完全に気を失っていました。

何故なのか、すぐに分かりましたーー地面に転がったフェンリルの左腕のすぐ側に、アセナの尻尾も落ちていたのです。
アセナが飛び上がった時に、切り落とされてしまったのでしょう。
再び両手で剣を握りしめ、アセナがフェンリルの方を見ると、腕があった所から血が噴き出していましたが、依然としてその戦闘意欲が衰えていないのを、その気配から感じられました。
それを見てアセナは身震いします……これが本物の戦狼なのかーーその姿を見て、アセナは美しいとさえ思ったのです。

しかし片腕をなくしたフェンリルは明らかに戦闘力が低下しているので、討つのであれば今しかありません。
片腕で剣を握り、それをアセナに向け、血を流しながら突然フェンリルはニヤリとしながら言いました。

「……アセナよ、お前はオーロラを見た事があるか ? 」

僕を油断させるつもりなのかもしれない。アセナは気を許す事なく次に斬りかかれる機会を見計らっている中、フェンリルは滔々と続けます。

「ーー遥か北の大地、そこに俺は旅をした事がある。空にオーロラが輝き、その大地には『本物』のオオカミが住まうのだ……」

アセナは、ハッ、としますーーフェンリルは……知っていたのか !!

「そうだ。お前の知っている事は、俺はすでに知っていた……その通りだ、俺たちは本物のオオカミにあらず。俺は北の大地に行き、本物のオオカミになろうとした。しかし、俺たちはオオカミにはなれぬのだ。……我らはオオカミと交わり子孫すら残せぬ少数部族にすぎぬ。そしていずれは、地上から消えゆく運命。我らはオオカミでもなければ羊でもない。俺はそれを知り、羊村の羊たちを憎んだ。ーーあいつらは羊村の繁栄の為、我らをオオカミの姿へと変え、見棄てた。俺たちが滅びる前に、俺は羊村へ復讐をしようと思ったのさ」

フェンリルの話を聞きながら、アセナの心に『同情』と『哀れみ』が蘇ってきましたが、その隙を見てフェンリルは切りつけてくるでしょう。
アセナはかつて、フェンリルが教えてくれた戦狼の心得を思い出しましたーー『いいか、敵や獲物を追い詰めた時には、たとえ相手が命乞いをしようと、必ずや仕留めねばならぬ。さもなければ、お前が相手に殺されるであろう』

アセナは握りしめた《オオカミ殺しの剣》を頭上に持ち上げましたーーすると月の明かりが剣に反射して、その光がフェンリルの目に。
相手の目が眩んだ瞬間、アセナは素早く剣をフェンリルに向け、真っ直ぐに突き、心臓がある辺りの胸を深く刺し貫きますーー同時にフェンリルも月神剣を振りますが、月神剣はとても短い剣なので、アセナに届く事はありませんでした。
胸に剣が突き刺さったまま、フェンリルはガクリと膝をつきます。
大きな口から血の泡を吹きながら、フェンリルはアセナの目を見据え、そして最期の言葉を言いました。

「……北の大地での狩りは、最高だった。おかげで本物のオオカミの気分が味わえたぞ」

アセナが《オオカミ殺しの剣》を引き抜くと、胸から大量の血を流しながらフェンリルは地面にドサリ、と倒れこみ、動かなくなり、そして二度と起き上がりませんでした。
アセナは剣を側に放り投げ、ソールの所までよろめきながら歩き、縛ってある縄を解きました。
ソールは、アセナの尻尾が無くなっているのを見て泣きそうになりましたが、強くアセナを抱き締めます。
アセナもソールを抱き締め、二匹はしばらくの間そのまま、じっとしていました。

アセナは足に刺さった矢を引き抜き、びっこを引きながら森を歩き回り、乾いた木を集め始めました。
「ーーアセナ、何をやっているの ? 」
「フェンリルを火葬してやるのさ。ここでは鳥葬はできないからね。木を集めるのを手伝ってくれないか ? 」
二匹が木を集め終えると、アセナは重いフェンリルの亡骸を引きずり、集めた木の上に寝かせましたーーソールのドレスのポケットにマッチ箱が入っていたので、それを使いアセナは火を起こします。

パチパチと音を立てながら、火が点き、フェンリルが炎に包まれていきました。
「ーーオオカミは死ぬと、鳥が月まで、その亡骸を運んでくれるんだ。でも、きっとこの方法でも月まで行けるだろうね」

夜空を見上げると、炎から昇る煙が月に向かっているのが見えました。
アセナは切れてしまった自分の尻尾を、炎の中へと投げ込みながら、けっして泣くまいと思っていましたーー泣いたりなんかしたら、それはフェンリルの教えに背く事になるのですから。

――――つづく

☆     ☆     ☆     ☆

※「RADIO CRANE’S」へのご意見ご感想をお待ちしております。こちらから

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・漫画・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter


スポンサーリンク

フォローする