オオカミになった羊(後編53)by クレーン謙

淡い月明かりが射す川のほとり、凍てつく空気の中。ショーンは弓矢をかまえ、ミハリの攻撃を呼吸を整えながら待ち構えていました。
ショーンは、かつてミハリに教わったように、気配を殺し、僅かな音も漏らさぬよう耳を研ぎ澄まします──『月の川』の右手方向に立つ木々の間に、何かの気配を感じ取ったショーンはそちらに弓を向けます。すると、あらぬ方角から続けざまに矢が三本飛来して、ショーンの耳をかすめました。
続いて、二本の矢が飛んできて、ショーンの足元の雪に深く突き刺さります。
ショーンは体をひねり、矢が飛来してきた方向に向かって矢を放ちましたが、しかし何も手応えを感じ取れません。どこからともなくミハリが、クッ、クッ、クッと低い笑い声をあげるのが聞こえてきました。
その声質は勿論、子オオカミの頃とは変わってはいますが、子羊だった時にショーンがよく聞いていた笑い声です。
それは二匹が子供の頃、かくれんぼをして遊んでいた時、ミハリがよく発していた笑い方でした。
ショーンは必死になって、五感を働かせミハリの居場所を探ります──川のせせらぎしか響かぬ闇夜の中から、ミハリがショーンに語りかけました。

「……ショーン、君は僕が気配を偽れるのを忘れたのかい? 偽りの気配すら見破れないようなら、到底僕には勝てないよ。しかし僕は卑怯な戦いは嫌いだ。それはオオカミの戦い方に反する。羊である君はオオカミほどには、耳も夜目もきかない。公平を期すため僕は、今全ての矢を使い切った。僕は剣のみで戦う。君は弓矢と剣で戦うといい」

五感のみに頼るだけでは勝てないと悟ったショーンは、弓矢を構えながら腰を落とし、どの方角からミハリが襲ってくるのか『予知』するよう努めました。
幼い頃、ショーンは棒切れを使った剣術をミハリから教わったのです。
その剣術には、敵の動きを『予知』する術も含まれていたので、今ショーンはその術を使いミハリの次の攻撃を待ち構える戦術に出ました。
ショーンは、昔教わったように心の中から理性を追い払い、野生の勘を呼び覚ますよう努め、静かに目を閉じます──すると、ミハリが右手方向の茂みから襲いかかる映像が、瞼に浮かび上がってきました。

目を見開いたショーンは、茂みに向かって、つがえた矢を解き放ちます。空気を切りながら矢が茂みに飛んでいき、ブツリ、と肉に突き刺さる鈍い音がすると、茂みの中からミハリが躍り出てきて、月神剣を握りしめショーンに突進してきました。
ミハリの脇腹には矢が深く突き刺さっていましたが、そんな程度でミハリがひるむ筈がないのは、ショーンには分かっていました。
次の矢を弓につがえたショーンに、ミハリは無慈悲に月神剣を振り下ろします。
ショーンは体を逸らし、攻撃をかわしますが、突然右側の視界が真っ暗になり、そして光を無くしました──右目が剣で切られたのです。
右側の視界を完全に失くしたショーンは、矢を放ちますが、しかし、すでにそこにはミハリの姿はありません。

片側の視界を喪失したショーンは、弓矢での狙いが定めなくなったと判断し、弓矢を捨て右目から血を流しながら、常緑樹が生い茂る林の中へと走って行きました。その中であれば、次の攻撃をかわせると野生の予知能力が告げたからです。
ショーンは剣を腰から引き抜き、それを両手でかまえ、次の攻撃を待ち構えました。
半分の視界を無くしたショーンには、もはや耳と鼻と、そして予知能力しか残っていません。
ミハリは、闇夜の何処から、クッ、クッ、クッ、と笑いながら、ショーンに告げます。

「……ショーン、よくぞ僕の動きが『予知』できたね。流石だよ。羊にしては、実に見事だ。しかし、君はなぜ教えたように『哀れみ』の心を捨て去っていない? 『哀れみ』が無ければ、さっき君は弓矢で僕の心臓を狙えた筈だ──いいかい、僕はすでに『哀れみ』を捨て去っている。何故なら、それが唯一、戦いに勝てる術だからだ。僕は二手三手も先を読んでいる。そんな甘い事で君は、この僕に勝てるのかい? 羊村を守れるのかね? お前の娘は羊村を捨て、そして僕の息子アセナが連れ去ったのだぞ。そんな相手をお前は憎くはないのか? さあ、ショーン、教えたように心からすっかりと『哀れみ』を消し去れ! そうすれば、お前は僕に勝てるかもしれない」

ミハリは月神剣をかまえ、ショーンが潜んでいる筈の木々に向かって気配を殺しながら、進んでいきました。オオカミ族の誰よりも鼻が利くミハリは、そこにショーンの気配と血の匂いを嗅ぎつけたのです──前方に立つ、腰回り程の太さがあるアカマツの後ろにショーンが居ると察知したミハリは、素早くアカマツの後ろ側に回り込みましたが、そこにショーンはおらず、木の幹には大量の血と羊の毛が付着しているだけでした。
ショーンは『偽りの気配』を使ったのでした。
不意に背後に気配を感じたミハリが後ろを振り返ると、そこに片目のショーンが右手に剣を、そして左手に矢を持ち立っていました。その顔からは、すでに『哀れみ』の表情が消え去っています。

ミハリは月神剣をふりますが、ショーンはそれを剣で受け、その合間に左に持っていた矢をミハリの胸に深々と突き刺しました。胸に矢が刺さったミハリはニヤリ、と笑いガクリと膝をつき言いました。

「ショーン、強くなったな。見事だ。戦に勝つには、まずは『哀れみ』の心を無くす事だ」

それを聞き、ショーンは我に返ります。

「お前は最初から、こうされるつもりだったんだな? 何故だ? 」

「僕は自分自身への『哀れみ』を消し去っただけだよ。この決闘の目的とは、最初から我が同胞オオカミ族を守ることにある。それに、オオカミ族は決闘の誉れを重んじる種族なんだ──勝敗に関わらずね。あと必要なのは、僕の首をメリナ王国へと持っていくだけだ。ファウヌス三世は僕の首を見て満足し、それでこの戦は終わる。オオカミ族は亡ぼされずに済む。君は優れた政治羊だ。君ならば、その手腕で平和協定が成せるだろう……無学な僕にはそれは無理なんだ。僕は戦いに勝つ為であれば、なんだってする──分かっただろう? 僕たちはこの戦に勝ったんだ。さあ、僕の首をはねてくれ。そして、共に勝利を祝福しよう! 」

しばらく躊躇をしていたショーンは決心をしたように、剣を振り上げました。
ミハリは胸から血を流しながら、ショーンを見上げ、言います。

「僕は、羊村通商大臣ヘルメスがオオカミを毒殺したのを突き止めた。それがきっかけでこの戦は開始されたんだ。だから、ヘルメスさえ処罰すれば、オオカミ族の怒りは収まるだろう。最後に一つ、お願いがある。ずっと反対はしていたが、いつかオオカミと羊は結ばれるのかもしれない。だから、アセナとソールを許してやってくれ。たとえ我らの仲間たちが許さなくともね」

「……分かった。約束しよう」

ショーンは剣を振り下ろしながら、小さい頃、二匹でよく遊んでいた戦争ごっこを思い出していました。アセナは口癖のように、よく言っていました。

『いいかい、戦に勝つ為にはね、ありとあらゆる戦術を使うんだ。でもね、卑怯な方法だけは使っちゃいけない。それはオオカミの掟に反するからね』

――――つづく

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