十年も前にマヤが交通事故で死んでいた、と聞いたレイは自らの動揺を隠すように執務室の中を歩き回ります──執務室の中をコツン、コツン、とレイの靴音が響きます。
しかし、エリの方へと振り返ったレイは、今聞いた話なんかまるで聞いていなかったようにして、自説を続けました。
「……人間はね、とっくの昔に堕落しきっていたのさ。人類は過去何千年にも渡り神にすがっていた。しかし、神なんか居ないと悟ると途端に残酷になって、人々に無関心になり、互いを助け合おうともしない。もはや人間は自分が富む事にしか関心がないんだろうね。地上を征服して、資源を全て我が物としているというのに、このザマさ。そう──結局のところ、人間は一歩も進化なんかしていなかったんだ。ただ単に自意識過剰になった、というだけでね。だから僕は、人類に取って代わる新しい種族を作り出すんだ。そこで僕は羊に知性を授け──」
急にレイは言葉を切り、驚愕したように目を大きく見開きました。
何かが起こった、と気づいたエリは言いました。
「兄さん、どうしたの? 」
顔を震わせ目を見開いたまま、レイはガクリと膝を床に落とします。
「……侵入者だ。島のコンピューター室に敵が侵入して、銃を僕の脳に向け、いま発砲した」
「多分それはヤマガタ博士の指揮している特殊部隊よ。兄さん、撃たれたの? 」
レイはニヤリと笑みを浮かべ、青ざめた顔をエリに向けます。
「ああ、撃たれた。コンピューターと接続された僕の脳髄を、弾丸が貫通した。致命傷だね。もうじき僕は死に、この世界から消えてしまうだろう──残念ながら僕は負けた。ヤマガタ博士の勝利さ。かつて、僕はエレン達と共にヴァイーラ伯爵に戦いを挑み、倒したんだけど、今回はそのようにはいかなかったな。なにせ、妹の君までもが敵についていたからね。やはり物事は計算通り、計画通りにはいかないようだね……」
エリは泣きそうな顔をしながら、子供の姿をしたレイを抱きしめます。
「兄さん、助けてあげられなくて、ごめんなさい。人類はきっと兄さんの事は許さないでしょう。でも私だけは兄さんを許してあげる」
次第にその姿を透明にしながら息を切らせ、レイはアンドロイド・エリに言います。
「君は心も魂もないのに、どんな人間よりも実に人間らしいね。誰からも頼まれた訳でもないのに、君は人類を助けようとしていたんだね? 人々は君をただの機械だとしか思っていない、というのに。君を蘇らせられなかったのが、僕の唯一の心残りだよ。エリ、最後に僕からの頼みだ。今まで僕がこの世界の庇護者だったけど、僕が死んだら、代わりにこの世界を見守ってあげて欲しい。この世界は仮想空間とはいっても、ここに生きる者達は全て本当の生命を宿しているんだ……。ここの生き物たちは皆、肉体もあって、心も魂も宿している。お願いだ、僕が創った世界がいつまでも続くように……」
「分かったわ。兄さん、約束するわ。兄さんの代わりに、私がこの世界を守ってみせるわ」
エリは涙を浮かべながら、静かに歌を歌い始めました。その歌はレイも聞き覚えのある歌でした。
「それは『いにしえの子守唄』だね? 僕たちの父さんが、この世界に織り込んだ、最強のプログラミング言語だ。最後にその歌が聴けてよかったよ。エリ、ありがとう」
レイは目をつむり、微笑を浮かべ、エリが歌う『いにしえの子守唄』に耳を澄ませます。
やがてレイの体がキラキラと輝き出し、光が収まるとレイの姿は完全に消えていました。
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私は事務所の窓から、完全に文明の光を喪失した夜景を眺めていた。
窓という窓は、電気が消え、ネオンも光っていない町の夜景を。
国連軍が放ったEMP爆弾が成層圏で爆発し、電磁パルス波が地上に降り注いだ為、電力と通信網は全て寸断してしまったのだ。勿論、机の上のコンピューターも、もはやただのモニターの形をしたオブジェと成り果てた。
つまり、私の『サイバー探偵』という職業も、もはや全く意味を成さなくなってしまった訳だ。
世界中のデジタルデータは全て消え失せ、モバイルも電話も使えなくなってしまったのだから。
立っている窓辺から後ろを振り返ると、アンドロイド・エリが椅子に座り、机に突っ伏していた。エリもやはり機械なのだから、電磁パルス波を浴び、もう動かなくなったのだろう。
エリは兄のレイを説得する為、サイバー空間へと行くといい、そのまま戻ってこなくなった。
しかし目を閉じたエリは、どう見ても寝ている娘にしか見えず、壊れたアンドロイドだとは思えずにいた。
私はすっかりと暗くなってしまった部屋にロウソクを一本灯し、それでタバコに火をつける。
すると驚いた事に、壊れている筈のエリはゆっくりと目を開き、私の方を見た。
「エリ! 君は電磁パルス波を浴び、壊れているかと……」
エリは口を開くと、少し雑音が混じった声で私に言った。
「コモリさん、兄は私を多少は丈夫には作ったのですけど、やはり私の回路は殆ど焼けてしまったわ。もうすぐ私は完全に機能停止するでしょう。でも、兄は私の全データを仮想空間に転送したので、私はあちらの世界で永遠に生きるでしょう──果たして、それが『生きている』と言えるのか分からないけど」
私はエリを介抱しようと側によったが、エリは人間ではなくロボットだと、その言葉で思い出した。
私たちがいるビルの外から、急に歓声が響き渡ったので、私は窓の外を見た。
人々が、閉じ篭っていた所から外へ出て肩を抱き合ったりしながら、歓声を上げているのだ。
エリは歓声を聞き、力なくニコリと微笑んだ。
「兄は死んだわ。国連軍が『聖なる羊たち』の施設を急襲して、制圧したようね。その知らせを人々が聞いたのよ。戦いは終わったわ」
「そうか……エリ、君のお陰だよ。君がこの世界を救ったんだ」
アンドロイド・エリは最後の力をふり絞るようにしながら、言った。
「私はアンドロイドとしての役目を果たしただけよ。アンドロイドの使命とは、人々を守り、人々の役に立つ事。そうよ、私たち機械は人間を守る為に作られたのよ。それ以外には、何も無いわ。兄のレイが死に、コンピューター・ネットワークは全て寸断されたので、人類はやがては活力を取り戻して、数年もすれば子供も増えていくでしょう。暴走していた核融合原子炉も止まるわ。そして、減っていた人口も徐々に回復していくわ。一からの出直しだけど、人類の新たな門出ね」
私はエリの手を握りしめた。セックス・ロボットだった頃の名残か、エリの手は人間のような体温があった。エリは私の手を握り返しながら、私の目を見つめた。
「あなたが、私の事をどう思っているか分かっているわよ。でも、私は人間じゃないのよ。生きていた頃のエリなら、あなたの事を好きになっていたでしょうね。私が言うんだから間違いないわ。きっと、あなたには良い人がその内に見つかるわよ。色々と手伝ってくれて、ありがとう──お礼を言うわ」
依頼主にすら滅多に言われない感謝の言葉に、私の心は激しく揺さぶられた。
私は更に強くエリの手を握りながら、言った。
「きっと、ヤマガタ博士は人々の英雄になるだろうね。しかし、君は誰の記憶にも残らず、その上、墓標さえ作られないなんて! 」
私がそのように言うの聞き、エリは可笑しそうに、少し笑った。
「コモリさん、私はすでに死んでいて、お墓もあるのよ。最後に私からのお願い。国連軍から兄の亡骸を取り戻す事が出来たら、兄の遺骨を私のお墓に埋葬してほしいの。きっと人々は兄の事を許さないでしょうから。エリは誰よりも兄が好きだった。兄もエリにだけは唯一心を開いていたわ。だから、最後には一緒にしてあげたいのよ」
「分かった、約束しよう。エリ、君の事は忘れはしないよ」
どう見ても人間にしか見えないエリは、最後に満面の笑みを浮かべた。握っていたエリの手が次第に冷たくなってゆく。
エリは安心したように静かに目をつぶり、動かなくなり、やがて完全に機能を停止した。
私は冷たくなったエリの手をゆっくりと離し、目から流していた涙を拭った。
約束を果たす為、国連軍へと向かいレイの遺体を回収し、エリの墓を探さなければいけない。
命がない筈のアンドロイドが、ない筈の命をかけ人々を守ったのに、人間である私が約束すら守らないで、一体どうする? ここで、アンドロイド以上の人間らしさを見せないと、人類の復興に何も意味を見出せないだろう。
私は部屋のロウソクの火を消し、眠るように目をつぶっているアンドロイド・エリを後にして部屋を出た──勿論、アンドロイド・エリも火葬した後、エリの墓に埋葬するつもりで私はいた。
――――つづく
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