オオカミになった羊(後編46)by クレーン謙

羊村に侵入し、通商大臣ヘルメスの邸宅を急襲したアセナとアヌビス族の戦士達はヘルメスの末娘アンジェリアを捉え、ヴィーグリーズの谷へと戻りました。
アセナとしては、本当はこんな真似はしたくはなかったのですが、早急にこの戦闘を終結させる為にはやむ得ないと判断したのです。
ヘルメスはソールをも利用し、この戦を開戦させました。その上、ヘルメスは敵方の《天使》に通じている、とアセナは大巫女アリエスから聞いています。
要するに、この悲惨な戦はヘルメスの策略により始まったと言ってもよく、そうであるならば何としてでもヘルメスを討つのが戦を終結させる最善の策である、とアセナは考えていました。

アセナ達は谷の野営地に到着すると、ゲルの中へまだ幼いアンジェリアを収監します──気の毒な事にアンジェリアは未だ何が起こったのか全く理解しておらず、青ざめた顔でブルブルと震えながら武器を手にしたアヌビスの戦士達を見ているばかりでした。
羊のアンジェリアから見れば、アヌビスの戦士達は皆、血に飢えたどう猛な肉食獣なのです。
その事に気付いたアセナは、手にしていた弓矢を下に置きアンジェリアに語りかけます。

「……安心をしな。僕達は君を傷つけたりなんかしないから。この戦争が終わったら君を必ず羊村に帰してあげるよ」

しかしアンジェリアは恐れた顔を崩す事なく、アセナをキッと睨むだけで、何も返事をしません。
どのように語りかければいいのか困っていると、ゲルの外からアヌビスの戦士がアセナに呼びかける声がしました。

「アセナ様!ミハリ様より伝令が参って、重要な事柄を伝えたい、との事です」

アセナはゲルから出ると、外に居たソールに言います。

「ソール、お願いがあるんだけどね。あの子羊は僕達オオカミをとても恐れている。君は羊だから、きっと君が行くと安心すると思うんだ。あの子の面倒を見てあげてほしい」

アセナはソールの口にそっとキスを交わし、ゲルから離れ伝令の所へと向かいました。
伝令はアセナを見ると、尻尾を下に垂らし敬意を表明します──

「アセナ様。あなたの父上からのこと付けを伝えに参りました。我らが指導者ミハリは、このように申しております……『ヘルメスを討ってはならぬ。必ず生かして捉えよ』と」

ソールはあまり音を立てぬよう注意を払いながらゲルの中へと入ります。
アンジェリアはゲルの中へと急に若い雌羊が入ってきたのを見て、驚いた顔をしました。
ソールは相手を恐れさせぬよう、ゆっくりとアンジェリアに近づき、隣に座りながら優しく語りかけます。

「私の名はソール。羊村村長ショーンの娘よ。あなたの名前は? 」

羊の姿を見て、少し安心したのか、捉えられてから一言も話さなかったアンジェリアはようやく口を開きます。

「あたしは……アンジェリア。どうしておねえちゃんは、怖いオオカミ達と一緒にいるの? あたしには分かるわ。悪いオオカミ達はパパを殺そうとしているのね? だって、あのオオカミ達はあたし達のお家を襲ったんだもの」

アンジェリアがそう問うのに対しソールは返事に窮し顔を曇らせます。
ソールはヘルメスの愚かな策略の為、騙され、そして利用されたのです。気の毒な大巫女アリエスもヘルメスにそそのかされ、オオカミを毒殺し、開戦のきっかけを作り、その罪悪感に苦しんでいます──それを思うと怒りが込み上げてくるのですが、それをアンジェリアに悟られぬようソールは立ち上がります。

「オオカミ達はお肉しか食べないけど、私が持っているお野菜を持ってきてあげるわ。一緒に食事をしましょう」

アンジェリアがいるゲルを出ると、ソールはアセナと寝起きしているゲルに入って、ジャガイモとトマトで煮込んだスープを手にして、再びアンジェリアのゲルへと戻り、それをアンジェリアに渡します。警戒をしてなかなか口にしなかったので、ソールもスープを飲むと、ようやくアンジェリアもスープを飲み始めました。
羊はオオカミと違って、日が沈むと寝るので、アンジェリアを寝かしつける為、昔話を始めます。

「むかーし、むかし、まだオオカミが羊だった頃。その頃みんなは、争いもなく、とてもとても仲良く暮らしていました。でもある日、羊を猛獣から守る為、仲間の何匹かがオオカミに変身しました。オオカミに変身した羊は、仲間を守るため、身も心も本物のオオカミになって、猛獣と戦いやがて肉を食べるようになり、自分がかつては羊だった事をすっかりと忘れてしまいました…」

気がつくとアンジェリアは寝息をたて眠り始めたので、ソールも隣でウトウトし始め、やがて深い眠りに入ります。
アセナと一緒になってから、亡霊に襲われる悪夢を見なくなったのですが、ソールは今、夢の中で洞窟のような所を歩いていました。ひんやりとした不気味な洞窟を歩いていたソールは直感します。

「きっと、ここはアリエスが言っていた黄泉の国の入り口なんだわ! どうしてかしら? 私は死んでしまったの? 」

魂も凍りつく、ひんやりとした洞窟の先を見ると、一匹の年老いた羊がトボトボと奥へと向かって歩いているのにソールは気づきます。
年老いた羊は、一瞬歩みを止めると振り返りソールの方を見ました。ソールはその顔を見てハッとします──それはソールもよく知った顔、アリエスでした。

――――つづく

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