生物を分類するとき、大きな枠組みから順にドメイン、界、門、綱、目、科、属、種と細分化される。例えばヒトは真核生物(ドメイン)、動物界、脊索動物門、哺乳綱、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒトという具合にグループ分けされる。前回のテーマであるカワウソはイタチ科の中でも科と属の中間に位置するカワウソ亜科に属する生物全般をカワウソと呼んでいる。ところが、今回のテーマであるクマムシは緩歩(かんぽ)動物門に属する生物をクマムシと呼んでおり、非常に大きな分類グループを指す。なので、一言でクマムシと言っても様々な食性、様々な生息環境、様々な繁殖生態を持っており、ひとくくりにクマムシを論じることは非常に難しい。
クマムシは1,000種以上いるとされ、熱帯から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどありとあらゆる環境に生息する。エビ、カニ、昆虫、クモなどが分類される節足動物門は陸、海、空のあらゆる場所に生息することを考えると至極当然と言えば当然である。クマムシの化石は今から約5億年前のカンブリア紀の地層から発見されており、その後長い年月をかけて様々な環境に適応し、あるいは取り残されて脈々と命をつないできたのである。
クマムシは通常85%ある体内水分を3%にまで減らしても耐えることができる。また、100℃の高温からマイナス273℃の低温にも耐え、真空から75,000気圧までの低圧から高圧にも耐え、ヒトの半致死量の1,000倍の放射線量にも耐えることができる。まさにスーパー生命体である。実際に宇宙空間に暴露しても生き残ることができた個体がいた。
生物の研究者は対象となる生物が好きで生物学者になることが多い。クマムシ研究者も例外ではなくクマムシが好きでクマムシ研究者になったはずである。ところが、上記のように最愛なるクマムシを乾燥させ、高温低温・高圧低圧にさらし、放射線を当てなくてはならず、さぞ心苦しい心境であったのではないだろうか。あるいは、給料日前に都会に出た大学生の息子から金がないと電話があった母親のような気持ちで、心の中で「すまん、耐えてくれ」と罪悪感を抱きながらも助けてやることができずにいるのではないかと、私はクマムシ研究者の心理状態が心配である。
クマムシの実験結果は世界的に衝撃を与え、学術誌のみならず一般のメディアでも取り上げられ、クマムシのぬいぐるみまで発売されている。このようなインパクトのある実験を行うためには大量のクマムシを用意しなければならない。乾燥させたり温度を変化させたりするだけであれば数十個体あればできるかもしれないが、放射線を当てるような様々な条件で実験するためには数百、数千というクマムシを用意しなければならないはずである。さらに、野外から採集してきたクマムシは年齢構成が様々で、寿命が近く何もしなくても死んでしまっているかもしれないという不確定要素を排除しなくてはならない。
そこでクマムシの飼育が重要になってくる。何という種類のクマムシで、餌は何を食べ、寿命はどれくらいで、次世代をちゃんと残してくれるのか。これらをひとつひとつ調べて、より簡単で多く増やすことができる種を見つけていくのである。パズルのピースをひとつひとつあてがっていくように、世界中からクマムシを集めては餌を与えて飼育してみても、なかなか最適なピースが見つからない。パズルであればピースをあてがうのに数秒しかかからないが、クマムシの飼育は週単位での作業となる。
ヨコヅナクマムシというクマムシの安定的飼育に成功した研究者は大学院時代をこの飼育にかけて博士となった。もし、ヨコヅナクマムシの飼育が成功していなかったら、研究者をあきらめ別の道に進んでいた可能性もある。近年の傾向として実用性があり短期間で結果が出る研究に重点が置かれ、実用性が乏しいと思われて結果が出るまでに長時間かかる研究は敬遠されがちである。一見たいしたことがないように見えるヨコヅナクマムシの飼育方法確立は、後のスーパー生命体発見に大きく貢献した。
今後クマムシの研究はヒトの長寿の研究にも応用できないか検討がされている。クマムシの飼育が長寿の研究につながり、実用性がありそうな成果に結びついた。このことは時間のかかる基礎研究の重要性を端的に示した好例ではないだろうか。ただし、長寿がヒトに幸福をもたらすかどうかは別の議論ではあるが。
(by ぐっちー)
※このエッセイ「妄想生き物紀行」第75回はポッドキャスト番組「妄想旅ラジオ」第75回「クマムシ」と関連した内容です。「妄想旅ラジオ」は、ぐっちーさん、ポチ子さん、たまさんの3名のパーソナリティーが毎回のテーマに沿って「生き物」「食べ物」「旅」について話す楽しいラジオ番組(ポッドキャスト)です。そちらもお聴きになると一層お楽しみいただけますのでぜひどうぞ! ポッドキャストはインターネットのラジオ番組で、PCでもスマホでも無料でお聴きいただけます。詳しい聴き方などは「妄想旅ラジオ」のブログを。
ぐっちー作「妄想生き物紀行」第75回「クマムシ〜乾燥、温度、圧力、放射線に耐性を持つスーパー生命体クマムシの飼育秘話」いかがでしたでしょうか。
今回もお読みいただきありがとうございます、編集担当・ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。
こんにちは!
クマムシはすごい、という伝説的逸話が聞かれ始めたのはいつ頃くらいからでしたか、あれもこれもクマムシがすごいから、だけでなく、クマムシの安定飼育の成功があってこそ。そういう見方をしたことがなかったので目から鱗です。ラジオ放送でポチ子さんも同じ感想を持たれていたのですが、「強い=飼育・繁殖しやすい」と一概には言えないのもまた面白いです。ゴキブリの飼育がけっこう難しいと聞いた時もそう思いましたよ、はい。
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