引き継がれる最後のプレゼント ぐっちーさんと話そう<54>

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こんにちは。今週もよろしくお願いします!

みなさまこんにちは。
「妄想生き物紀行」編集担当、ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。

今回も、ポッドキャスター・ぐっちーさんのエッセイ「最後の晩餐〜「最後の晩餐」は妄想である」を読んで、ぐっちーさんにあれこれお聞きしたもようを、お伝えいたします。

先週のぐっちーさんのエッセイをお読みいただくとより楽しめる内容です。

ぐっちーさん、よろしくお願いします

週末を仮想終末に

人類、終了間近。
なんてことをみんなが知っていたら人間社会は大混乱、食料を含めた物流、水、電気、ガスなどのインフラも機能不全になるに違いないのだから優雅な晩餐など不可能、とぐっちーさんもエッセイで指摘していましたが、それをふまえて、シャルル大熊さんからのステキな擬似終末のご提案です。

「今を大切に」「今しかできないことを」なんてよく言いますが、今したいことがいつでもできることか今を逃せば二度とできないことか、本当はわからないわけで、今の望みと人生を総括した望みと何が違うのか、などなど、考えてしまいそうです。

毎週末が終末。ってなっちゃうんでしょうか、どうなんでしょうか。そうすると、本当の終末が来ても「またか」くらいに落ち着いて対処できるんでしょうか。

思ったのですが、いつが「最後」かは終わってみないとわかりません。対して、「最初」は明白です。初めて食べる美味しいものの印象は鮮烈です。

最後の晩餐には、食べたことのないものを食べてみたいという気がしてきました。

シャルル大熊さん、どうもありがとうございます!

今週末はこれを読め! 『ぼくが恐竜だったころ』

続いて、ホテル暴風雨風オーナーのオススメ終末本です。

最後の日がどのように描かれるか、はネタバレなので秘密にしますが、私も前に読んだ記憶を手繰り寄せ、そうそう、終末本だあれは、と思い出しました。読んだことのある方、いませんか?

『終末のフール』は未読なのですが、たしかに「終末」は人気のテーマです。個人的な趣味としては、人類が大幅に数を減らして文明が衰退した後を描いたSF的作品がけっこう好きです。みなさんお好きですか、終末?

『ぼくが恐竜だったころ』は、終末のみならず、恐竜、変身、タイムトラベルなどみんな大好き王道要素てんこ盛りですが、終末への対応が人それぞれ違うように、他の何とも違う味わいがあって面白いです。

週末の読書にぜひ!

自分だけが知っているという状況は、「耐え難い」と感じる方もそうでもない方もいそうです。私だったら、来週人類が滅亡すると知ったとして、誰かに言っても混乱するばかりだし第一信じてもらえないだろうし、それ以前に面倒だから特に誰にも言わず普通に過ごせちゃう気がします。テンション低すぎでしょうか?

1989年に出版された本ですので、新本で手に入らないのがややハードル高いですが、図書館にはまだまだあるはず。

あった!

この終末……じゃない終末に読みたい本、『ぼくが恐竜だったころ』三田村信行作・佐々木マキ絵(ほるぷ出版)でした。

風オーナー、ありがとうございます!

最後の晩餐、それは盛り上がる妄想

お次は、「最後の晩餐」のお題をリクエストしてくださった、ふわゆさんからのコメントです。

何の最後かということも重要要素ということですね。人類最後か自分の最後かくらいしか思いつきませんでしたが、この人との、またはこのメンバーでの最後の食事というのも入れると、案外最後の晩餐を何度も経験していることになります。

メニュー聞いて終わり、だったら、この話題でそこまで盛り上がるわけがないですから、最後のメニューにはその人らしさや意外な一面などが表れて面白いのですよね。

茶碗蒸し……意外性が何というか絶妙で、いいお話です。

「最後」が「魔法」みたいなことになってきました。

良い妄想の種ですね。

私はやはり、食べたことのない美味しい(美味しそうな)ものを食べたくなりました。
誰かと一緒に食べるならば、その人も食べたことのないものがいいです。一緒に初めてを味わうのを思い出にしたいです。みなさま、最後の晩餐何にするか、決まってきましたか?

ふわゆさん、ありがとうございます!

最後の贈り物

トリフィドさんからもコメントいただきました。

ウニというチョイスがまた。やわらかくて食べやすいので、噛む力や飲み込む力、胃腸などが弱っていても食べられそうな感じはします。

妄想寄りではなくリアルよりの「最後の晩餐」となると、理想の病中食みたいな話になってきますね。ゲル状などでやわらかいものなど。やわらかいものといえば、先ほど話題に出た「茶碗蒸し」や「プリン」も、弱っていても食べられそうですし実際人気がありそうです。しかし敢えての「ウニ」がいいですね。

最期の飲み物に日本酒……ポチ子さんから、これまたいいお話です。

「最後の晩餐」は、自分の最後にしても人類の最後にしても、その時を共有した人に思い出を残すものですね。自分が食べたいものばかり考えていてそういう視点が欠けていました。

お話を聞いただけでいいものをいただいた気持ちになりました。

ポチ子さんのお父様の人徳を感じますね。

喪失が悲しみの母であるように、去る人を見てこそ、自分の去り方に思いを馳せるようになるのでしょう。たくさん贈られ、ちゃんと受け取った人は、最後を恐れなくなるのでしょうか。

人生は引っ越す前のひと暴れ。一句できちゃった。

個性の強い「最後の晩餐」とはどんなものがあるだろうかとつい楽しく妄想してしまいます。

キリスト最後の晩餐のメニュー

ぐっちーさんからは「最後の晩餐」の中の「最後の晩餐」といえばアレ、およそ2000年前のあの晩餐についてコメントです。

いつもよりも早めにご紹介しますが、今日のページトップの絵がまさにレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』(を少々加工したもの)です。

寓意の込められた絵ということはさておいて見ても、いかにもあまり楽しそうではないですが……?

この後、描かれた弟子たちのほとんどがキリストの教えを布教し、書き残し、そして殉教したのですからすごいですね。

「犯人はこの中にいる」とまず宣言して「さて」と指名する、名探偵の登場するシーンの起源はこれなんじゃないかと思います。うろ覚えだったのでいつものアレ(検索)で聖書協会のホームページを見つけ、確かめたのですが、ありました。新約聖書の中には弟子が書いとされる「福音書」が四つあり、そのすべてに最後の晩餐の様子が書かれています。それぞれ少しずつ相違はあるのですが、どういうシーンかといいますと、

キリストがおもむろに「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」と宣言。すると弟子たちはパニックにおちいり、「主よ、まさかわたしのことでは」と口々に言い始める(そんなにみんな裏切ろうとしていたのか?)。キリストは「裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」と言う。

その後、はっきりとイスカリオテのユダを裏切り者と指名するシーンが「ヨハネによる福音書」だけには書かれています。「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」とまず言った上でユダにパンを与えるという怖いシーンです。

改めて読んでみるとけっこう怖いです。その後、ユダの裏切りだけでなくペテロがイエスを三度「知らない」と言うことを予言したりと、とにかく楽しさ要素限りなくゼロの食事です。

えっ、メニュー!? パンとぶどう酒だけじゃないの?

ウナギですと!?

どうもイエス・キリストは「人類最後の日が来るとわかってしまったら周囲の人に言わずにはいられないタイプ」だったと見受けられますね。

そうか、あくまでもレオナルド・ダ・ヴィンチの絵の中の「最後の晩餐」メニューがウナギだったらしいというお話でしたね。

うん、食べてみたいようなみたくないような?

あの胃が痛くなりそうなサスペンスフルな晩餐を再現、という趣向もそれはそれで面白いのか?

トリフィドさん、ポチ子さん、ありがとうございます!

ところで、各地で『最後の晩餐』のメニューはご当地風にアレンジされて絵に描かれている様子ですが、日本ではあまりアレンジされていません。日本人は換骨奪胎が大得意と言われているというのに、そしてキリスト教の文化は日本にも伝わっているというのに、イエスが着物を着ているとか、ウナギの蒲焼を食べているとか、そういう絵は見たことがないです。

あ、でも立川でバカンス中のあのイエス様ならばウナギの蒲焼くらい食べているかも?

ブッダとイエスが仲良く日本で休暇中。面白いですよ!

2022年7月26日現在、最新刊の第20巻が出たばかり。

最後にもう一度、ページトップの絵『最後の晩餐』についてひとこと。

よくぞこの絵からウナギを見つけ出したなあ〜!!

ビックリしませんか?

ではでは今回はこのへんにて。

次回のエッセイのテーマは「ウシ」です。妄想旅ラジオ第55回「ウシ」では、ポチ子さんとたまさんが実は**が嫌いという衝撃告白が! 衝撃は言い過ぎかもしれませんが、う〜ん、確かに日本でこの告白をするのには結構勇気がいるかもなあ、と日本の**文化について考えた回でした。ウシの話ももちろん、予想外のバラエティに富んでいて面白いです。予習がてら、ポッドキャストもぜひ聴いてみてください!

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