コウジ〜コウジカビを発見したアールブルクとさだまさしさんの「案山子」

コウジは原料となる米、麦、豆などの穀物を蒸したものに「コウジカビ」を付着させ、繁殖しやすい温度、湿度などの条件下で培養したものである。コウジを構成する最も重要な生物は「コウジカビ」であり、学名はAspergillus oryzae(アスペルギルス オリゼー)とされている。コウジカビが初めて微生物として論文に記載されたのは1876年(明治9年)であるが、この時に使われたコウジカビが現在のコウジカビと同じ種であるかは怪しいらしい。と言うのも、現在ではコウジカビには多くの変種があるうえ、黄コウジ、白コウジ、黒コウジでは種が違う。

いずれもアスペルギルス属ではあるが、黄コウジは味噌、醤油、酒の製造に使われ、白コウジは焼酎の製造に使われ、黒コウジは泡盛の製造に使われる。それぞれのコウジカビは今では別の種であると分類されているが、発見当時は酒の醸造で菌類が使われていること自体に驚きがあったと推定される。

時は明治維新から間もなく、外国の先進的な技術を学ぼうとアメリカ、イギリス、ドイツなどから、いわゆるお雇い外国人を招聘していた。ドイツ人であるヘルマン・アールブルクもその一人であった。アールブルクは現在の東京大学で動物学や植物学の教鞭を執る傍ら日本の動植物についても研究していた。彼は同時期に東京大学(東京医学校)で化学講師を務めたオスカル・コルシェルトからコウジカビのサンプルを託され、分類してユーロテーム オリゼーと名付けたが、後に別人によってアスペルギルス オリゼーに改められている。

ヘルマン・アールブルクは1850年生まれで、日本に赴任した時は26歳であった。当時の教育システムは不明だが、今の感覚で言うと大学院を出たばかりの初任地が外国で、しかも最近開国したばかりの発展途上国である。彼の生い立ちについては資料がないが、おそらく高等教育を受けさせてもらえるくらい裕福な家庭で育ち、若くして外国に赴くことになった彼をご両親は涙ながらに送り出したのだろうと想像する。アールブルク本人はこれから訪れる未知の国での生活に希望を膨らませていただろう。私には両者の気持ちがよく分かる。

さだまさしさんの「案山子」(1978年 アルバム「私花集」)という歌をご存知だろうか。「元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る」と都会に出た息子に父が呼びかける歌である。子供の頃の私には口うるさい親の歌だなと思っていたが、一人暮らしを始めてからは親のありがたみを噛みしめる良い歌だとスナックで涙した思い出がある。今では親の気持ちでこの歌を噛みしめている。発売から45年経った今でも歌い継がれる名曲である。アールブルクの両親もこの「案山子」の心境だったであろう。

両親の心配もよそにアールブルクは希望に燃えて日本に赴任し、自分よりもちょっと若い教え子たちと勉学に励んでいたことと想像する。

28歳の時、植物採集のために出かけた日光で赤痢にかかり、そのまま帰らぬ人となってしまった。赤痢は赤痢菌が主な原因で少量でも発症することがあり、現代でも衛生状態が悪い場所では非加熱の食材を介して感染する病気である。現代の海外旅行でも気をつけていないと罹患する病気であり、ましてや150年前の日本では今では想像できないほど蔓延していたと思われる。

アールブルクには妻がいたようで、彼の死後、雇い主である日本政府から見舞金のような形で俸給を倍増して未亡人に渡したという記録が東京大学図書館に残っているそうである。当時の日本が妻を連れてくることができないくらい未開の地であったことの証左ではないだろうか。

更にアールブルクのご両親のことを思うと心が痛い。お金についてはある程度あっただろうが、寂しくないか、友達はいるか、ちゃんと食べているかなど心配の種は尽きない。電話もなく、手紙も何ヶ月かかるか分からない通信状況で、おそらく息子の死を数ヶ月後に知ることになったのではないかと想像する。

アールブルクの亡骸は横浜の外国人墓地に埋葬された。ご両親や妻が息子の墓を訪れたかどうか分かっていないが、我々は遠く離れた日本の地で志半ばこの世を去った青年がいた事を心に刻んでおきたい。そしてコウジカビのお陰で今日もうまい日本酒が飲めることに心から感謝したい。

(by ぐっちー)

※このエッセイ「妄想生き物紀行」第71回はポッドキャスト番組「妄想旅ラジオ」第71回「コウジ」と関連した内容です。ポッドキャストもお聴きになると一層お楽しみいただけますのでぜひどうぞ! ポッドキャストはインターネットのラジオ番組で、PCでもスマホでも無料でお聴きいただけます。旅ラジオ」は、ぐっちーさん、ポチ子さん、たまさんの3名のパーソナリティーが毎回のテーマに沿って「生き物」「食べ物」「旅」について話す楽しいラジオ番組です、詳しい聴き方などは「妄想旅ラジオ」のブログを。

ぐっちー作「妄想生き物紀行」第71回「コウジ〜コウジカビを発見したアールブルクとさだまさしさんの『案山子』」いかがでしたでしょうか。

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こんにちは!

前回に引き続き、移りゆく「家族の季節」への思いが溢れていて、読んでいて「貰いしみじみ」してしまったことでした。ニホンコウジカビを発見し命名した若き研究者のことも、私は知りませんでした。志半ばに異国の地で病没、しかもせっかく命名したコウジカビの名前が改められてしまうとはこれいかに。彼の没後100年に『案山子』が発表されたのも奇縁というものでしょうか。

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