ある日、子どもが得意気に「父さんは怖いものあるでしょう?」と言ってきた。確かに怖いものはたくさんある。ある種の昆虫や毎月の請求書、締め切りなど挙げればきりがないが、どうしてそんなことを急に聞いてきたのかはわからない。何か弱みを握られたような気分である。
不敵な笑みを浮かべながら子どもが聞いてくる。
「父さんの怖いものなーんだ」
「え?おばけ?虫かなあ。。。?」
ずいぶんもったいぶった末に出した、子どもが知っていた答えは予想外のものだった。
「父さんはねえ。。。。高いところがこわいんだよっ!!」
「えっ?!高いところ?そ、そうだね。。。」
その通りである。自分は高いところがちょっと苦手だ。しかし、そんな話をわざわざした記憶はない。きっと何かのタイミングで自分が高いところが苦手なことを知って、それを暴露する機会をあたためていたに違いない。
子どもが怖がるものといえばおばけや鬼、妖怪の類が定番で、ことあるごとに「もうおばけが来る時間だよ、早くしないと食べられちゃうよ」などと言ってお風呂やベッドに誘うわけだが、まさか高いところという答えが返ってくるとは思わなかった。
「高いところ」というのはお化けや動物などの固有の対象物を指すのではなく、自分の置かれている状況と言ってもよいだろう。
対象物から環境やそれによって生まれる状況にまで視野を広げているということは、考えてみればなかなか大きな成長ではないかと思う。
高いところが怖い、というのも動物が持っている本能的なものだが、なんでも怖がり過ぎず平気過ぎず、という良いバランスを持ってもらいたいものである。
そして3月といえばひな祭りがあった。ひな祭りは自分にはあんまりピンとこないけれど、ある日子どもが歌いはじめた。
「あかりをつけましょぼんぼらどん!」
ん?なんか違うな、と思いつつ、あまりにキャッチーなそのフレーズが頭から離れない。ふとした瞬間に口ずさんでしまうほどそのインパクトは強力で、オリジナルよりこの方が格段にポップである。
「楽しいひな祭り」は誰もが知るサトウハチロー氏の作詞による国民的な名曲だが、子どもにとってはそんなことは関係がない。「ぼんぼり」というものがなんなのかさえわからない子どもにとっては「プテラノドン」でも「ぼんぼらどん」でもそう変わりはないのだ。
まだ文字が読めない子どもは音、語感でそれを感じて自分なりに解釈しているのである。
これは言葉の「意味」にとらわれてしまっている大人の自分の感覚に投げかけられた発明のようなものである。
そんなことを考えていたら数日後、今度はその続きを聞かされた。
「ごーにんばやしのふえだいこんっ!」
「ぼんぼらどん」から「ふえだいこん」。なんと韻を踏んでいるのである。
笛大根、このインパクトも強烈である。楽器から野菜への鮮やかな飛躍に完全にノックアウトされた。
自分のオンラインコミュニティの中でこのことを書いたところ、五人囃子の中で笛大根を吹くのは選ばれし者なのか、それとも全員が吹くのかが気になる、というコメントをいただき、そのことについてもつい想像してしまった。
ソプラノ、アルト、テナー、バリトン、バス、それぞれの大きさの笛大根を持つ五人囃子が奏でる音楽はさぞオーガニックなものであろう。
子どもの感覚というのは実に柔軟で面白い。自分にもこういう感覚がもう少しあったらいいのにと思う。
(by 黒沢秀樹)