今、絵本やおもちゃのカタログなどが入っている4歳の息子の本棚に、『危険生物]』という図鑑がある。他にもたくさん図鑑はあるのに、どうして「危険生物」を息子が選んだのかは謎だ。表紙には口を大きく開けた恐ろしいホホジロザメの写真が載っている。
付録にDVDが付いていて、そこには危険生物たちが捕食したり身を守るための攻撃をしたりする映像が収められているのだが、もちろんその映像を見た後には、恐怖の「危険生物ごっこ」が始まることになる。そして襲われるのは、もちろん最も身近にいる自分である。
最初はワニだった。巨大なワニが水辺に集まるヌーの群れから一頭を襲い、水中で「デスロール」と呼ばれる回転技を使って獲物の体を引きちぎるという場面だ。
「父さんはヌー、こっちはワニね!よーい、スタート!こっちにきて水を飲んで」
「ガブリーっ!」
「わーっ、食べられたー!」
「ぐるぐるーっ」(デスロール)
「ちぎられるーっ!食べられちゃったー」
「・・・もういっかいっ!」
「またやるの?」
「そう、もういっかい!もういっかい!!」
「てくてく・・・」
「ガブリっー!」「わーっ!」
(以下省略)
これが10回ほど繰り返される日々が続き、今度はサソリとネズミの対決である。
「父さんはネズミね、鼻くんくんして」
「くんくん。。。これは食べられるかなあ」
「バッシーンっ!!」(サソリが尻尾で針を刺す)
「うわーっ!!」(横に飛んでひっくり返る)
「もういっかい!」
「え?もういっかいやるの?」
「もういっかい!おねがいー!もういっかい!!」
「くんくん。。。」 「バッシーンっ!!」(以下省略)
その日、合計28回父さんネズミはサソリに刺されることになった。
いったいどうして子どもは「もういっかい」を永遠に繰り返すのか。
「もういっかい」は一度のはずで、どうせやるならあと30回ほどやってもらえないかと言ってもらえれば覚悟も出来るが、必ず「もういっかい」なのである。この「もういっかいループ」に疲れ果ててしまう養育者は数多くいるのではないかと想像する。
しかし、ふと思い出した。「もういっかい」は自分も子どもを上回るくらいやってきたのである。たった8小節や16小節のギターソロをレコーディングするために、エンジニアに「もう一回お願いします」を何度言ったことか。今はコンピュータ上で編集もできることもあって、ひとりで録音しているとあっという間に数十テイクのファイルがどんどん溜まっていく。これをテープ素材で録音していた頃を考えると気が遠くなる思いだ。
何度も何度も同じところをやり直していると、そのうち自分でも違いがわからなくなってくる。プロデューサーやディレクターが「キープ」しているテイクがいくつかあるわけだが、結局最初に録ったテイクが1番良かった、などと言うこともよくある。
これに付き合わされていたエンジニアやプロデューサーの方々の気持ちを考えると本当に申し訳ないと思うが、ここがいわゆるプレイヤー(演奏家)とアーティストの違いなのである。プレイヤーは依頼された仕事に求められたクオリティの演奏をするのが仕事だが、アーティストは自分の納得のいくクオリティの作品を作るのが仕事である。つまり「もういっかい」は自分自身の納得度の問題なのである。
自分にとって、この「気が済むまでやる」ことが出来たのはアーティストとしては本当にありがたいことで、心残りのあるテイクを世に出してしまい、聴くたびにそれを後悔するようなことにならずに済んでいるのは本当に幸運なことだと思っている。
実は子どもにとっても同じことで、「気の済むまでやる」ことはとても大切なのではないかと思う。子どもの「もういっかい」は全く同じことを繰り返しているように見えて、実は毎回新しいチャレンジをしているのである。そしてようやく自分が納得した時(もしくは飽きたり疲れたり、諦めた時)にそのチャレンジは終了し、その経験は記憶に残っていく。
そんなことに付き合ってくれる誰かがいたら、子どもの達成感や満足感、自己認識は必ず次の何かに挑戦するための礎になるだろう。そしてその誰かとは、きっと一番近くにいる養育者である可能性が高い。
これが「まだやるの」とか「もういいでしょ」「いい加減にしなさい」などという言葉によって不完全燃焼のままの気持ちを抱えたままでいる子どもと、上手下手にかかわらずやり切った満足感や達成感のある子どもとでは、その後の人生に何らかの大きな影響を与えるのではないだろうか。
今日は公園を3つハシゴした挙句、滑り台に登るために手を貸す作業を30回程したが、「いっぱい遊んで楽しかったね、最高の1日だよ」と言ってもらうことが出来た。そんなスマートな言い方をどこで覚えたのかは謎だが、言われた方としてはうれしいことには間違いない。これ以上の褒め言葉はないと思いつつクタクタになって帰宅すると、息子が言った。
「ぶどうグミもういっかい、おねがいおねがいーっ」
やはり「もういっかい」に終わりはないのである。
(by 黒沢秀樹)