ぼくは幼いころに両親を亡くし、おじいちゃんに育てられました。
おじいちゃんはおばあちゃんに先立たれていましたから、まあ、今思えば、さみしい者同士がいっしょになったようなわけでした。
おじいちゃんは科学者で、ぼくが言うのもなんですが有名な発明もいくつかしたそうです。
歳をとって大学の先生をやめたあとも、物置を実験室に改装して、好きな研究をのんびりとやっていました。
実験室にあったのは、コンピューターと銀色の道具類、それに棚いっぱいの薬品のびんでした。
あの中にはきっと危険なものもあったのでしょう。ぼくにはとことん甘かったおじいちゃんが、かってに実験室に入ったときだけは、本気でおこりました。定規でたたかれたおしりにお湯がピリピリしみて、おふろに入れなかったりもしたものです。
「まさや。海に行ったときのことを覚えてるか」
あるとき、実験室から出てきたおじいちゃんが言いました。
ぼくには、なんのことか、すぐ、ピインときました。
あしあと、です。
夏休みに行った海で、まだだれもいない夜明けに、おじいちゃんと二人、砂浜をさんぽしました。ふとふり返ると、あしあとが長く長くのびていて、ぼくはなぜだかドキリとしたのです。
「あしあと、きれいだったね」
「ああ、そうだったな。なあ、まさや。あのあしあとはどれくらい続いてると思う?」
「どれくらいって、砂の上だけでしょ」
「ううん、ちがうぞ。あしあとはもっとずっと続いてるんだ。砂浜から道路にあがっても、旅館に入っても、帰りの電車にのっても」
「じゃ、家に帰るまで?」
「いいや、もっともっと。目に見えないだけで、あしあとは、人が生まれてから死ぬまで、ずっと続いてるんだ」
おじいちゃんは、いたずらっ子みたいにニヤリとして、小さな茶色のガラスびんをとりだしました。
「ここに、じいちゃんが作った特別な薬がある」
「どんな薬?」
「これを飲むと、自分のあしあとがぜんぶ光って見えるようになる」
「生まれたときから今まで、ずっと?」
「そうだ」
ふしぎな話でした。
ぼくは茶色のびんに半分ほど入った液体を見つめました。
「じゃあ、逆にたどっていくと、生まれたところに行けるの?」
「お。さすが、まさや。いい考えだ。でも、何年もかかって歩いてきたあとだからな。逆にたどるのにも何年もかかるぞ。それに薬の効果は一時間ほどだ」
ぼくはわくわくしてきました。
(あしあとが、あの砂浜のときよりも、もっと長く続いて見えるんだ……)
すぐに飲んでみたくなりましたが、おじいちゃんは首をふりました。
「夜を待たなきゃダメだ。昼間はまぶしいから、あしあとの光がよく見えない。今晩にしよう」
――――◆第2話へつづく◆
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