装幀者菊地信義のドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』監督:広瀬奈々子

渋谷のシアターイメージフォーラムで映画『つつんで、ひらいて』を観た。40数年のキャリアで1万5千冊をデザインした装幀界の生ける伝説、菊地信義さんのドキュメンタリーである。
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「つつんで、ひらいて」監督・編集・撮影:広瀬奈々子

「つつんで、ひらいて」監督・編集・撮影:広瀬奈々子

装幀家を主人公とした映画を初めて観た。著者とくらべれば裏方の目立たない仕事であるからだろう。そこにあえて脚光をあてたのは広瀬奈々子監督。是枝裕和監督(『万引き家族』など)の監督助手として経験を積んだのち今年『夜明け』で監督デビュー、『つつんで、ひらいて』が2作目となる新鋭だ。

映像からは、なぜいま装幀家なのか以上に、なぜいま菊地信義なのかが伝わってきた。菊地さんのお仕事ぶりは他の多くの装幀家とはまるで違うのだ(ぼくはこの映画でそれを知った)。

デザインがすっかりパソコン仕事となってしまった時代に、菊地さんは手作業に徹底的にこだわる。ハサミを使いのりを使いピンセットを使い「こしらえて」いく。広瀬監督自身の手持ちカメラがそれを間近でずっと追っていく。いまではこんなブックデザイナーはほぼいない。一言でいえば手間がかかるからだ。しかし本は手にとって指でめくって読むものだから、菊地さんにとってはきっと終始手で触って確かめながら作るのが当たり前のことなのだ。

紙には音がある。
ぼくが一番感じたのはそこだった。紙をくしゃっと丸める音、めくる音、こする音、ふだん気にしていない紙の音がこの映画にはあふれていた。それは広瀬監督が意図的に伝えようとしたものだと思う。物静かに見える紙が意外に雄弁であること、生き生きしたエネルギーを秘めたものであることを表現するために。
本当は菊地信義さんが一番大事にしているのは手触り、触感なのだろう。触感への愛はことばでも映像でもくりかえし語られる。しかしやはり触感を映像で伝えるは難しい。そこで広瀬監督は音にフォーカスしたのだと思う。視覚だけに終わらない身体的感覚が必要だが、触感は充分には届かない。じゃあかわりに音で行こう。音を最大限に効かそう。
確かに音は触感に近いのだ。真っ暗闇の水音などさわれるような気がするではないか。

『装幀の余白から』

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当たり前のことだがすべてのシーンでカメラが回っている。インタビューシーンはともかく日常シーンでは、菊地さんはそれを意識せずいつもどおりふるまうことを求められたわけだ。
役者でない人にとっては難しいことだろう。菊地さんが苦笑しつつ「君に見られていると路上の占い師みたいな気分だ」というシーンもある。
それでも全体としてとても自然に見えるのは、断続的に3年間かけて撮影したという時間の中でつちかわれた信頼関係があるからに違いない。

紙の本がなくなるかもしれない時代に、昔ながらの手作業にこだわる装幀家の映画が公開される。そこにどんなメッセージを読みとるかは観る者の自由だ。
ここにはただ菊地信義さんを中心に、本の中身を愛し、それを形として表現するために全力をつくす人々の姿がある。これまでなかなか目にすることができなかった貴重な記録である。
本が好きな人にはぜひ観てほしい。装幀にこめられた想いを知ると、わが本棚のお気に入りがなおいとおしくなる。もう一度とりだし、ためつすがめつしたくなる。装幀した人の名前を知りたくなる。

エンデイング曲は鈴木常吉さん。ぼくは一度だけ鈴木常吉さんに会ったことがある。
20年以上前、武蔵関にある絵本出版社架空社に持込みに行ったときだ。まだ1冊の絵本も出版できていなかったぼくは社長のMさんに原稿を見てもらい、そのあと一緒に居酒屋へ飲みに出た。そこに常吉さんがあらわれた。Mさんとは旧知のようだった。
なぜか将棋盤のある居酒屋で3人で飲みながら将棋を指した。勝ち抜きのはずがぼくばかり勝つので常吉さんとM社長の対戦は一度も実現しなかった。「あんた一度も負けてないよね?強いねえ!」と常吉さんに言われたっけ。
ぼくは中学高校と6年間将棋部にいたから有段者なのだ。将棋好きの世界では「わざと負けるのは相手に失礼」が常識だから飲みながらでも手は抜かない。1回くらい勝たせてあげようとも考えない。そういうものなのです。余談でした(笑)。

(by 風木一人)


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