宗教と因果、神話と呪術

ヒトは理由を知りたがる動物である。
「どうして寒い時は息が白くなるの?」「どうして魚は水の中で生きていられるの?」「どうして子供は早く寝なくちゃいけないの?」子供の素朴な疑問攻撃に悩まされた経験のある方は多いのではないだろうか。
理由を知りたがるのは子供だけではない。「なんで風邪なんか引いたんだろう?」「なんで腹を壊したんだろう?」体の具合が悪くなるたびに、「なんでだろう?」と考える人は多い。
ただし、科学的な検討というところまでは行かず、「昨日電車の中で咳をしていた人からうつされたんだろう」とか、「今朝食べたハムが古かったのだろう」などと、なんらかの可能性を思いついたところで納得して終わることが多い。

物事の理由、原因を知りたがるというのは、ヒトの一つの特徴ではないだろうか。
他の動物も、物事の因果関係を理解することは(ある程度)できる。ネズミでさえ、レバーを押すと餌が出るような機械の前に置いておけば、自らすすんでレバーを押すようになる。だが、何かの出来事があった時に、積極的にその原因を探すような行動を動物がするという話は聞いたことがない(*1)。
ヒトは、何かがあるとすぐに理由を知りたがる。ただし、上の例のように、ある程度納得できる理由が見つかれば、それが客観的に見て正しいかどうかはあまり気にしないことが多い。

宗教も、物事の理由(原因)を説く。仏教説話には、因果の話がたくさんある(例えば、「善悪因果経」http://hotel-bfu.com/bunnosuke/choyaku/setsuwa/2016/09/17/post-222/)。
そのほか、様々な自然現象や奇妙な地形などを神の仕業として説明する神話は多い。旧約聖書では、国や民族によって言葉が違うことも、神の仕業として説明している。様々な宗教に、色々な災害や自然現象を説明する神話があるというのは、物事の理由を知りたがるという人類共通の欲求を満たすという機能を、宗教が持っているということではないだろうか。
物事の理由を説明するのが神話であれば、その神話の説明に基づいて、物事を操ろうとするのが呪術だろう。天候を支配する神様を祭って豊作を願ったり、井戸が枯れないように水神様を祭ったりする。神を喜ばすために祭りを行ったり、捧げ物をしたりする風習は、世界中にある。

現代の日本では、各地で伝統的な地域社会のシステムが崩れ、伝統宗教の力が弱くなってきたようだが、そうすると、神話や呪術などという非科学的で古臭いものは、なくなっていくのだろうか。
そうでもないようだ。例えば、20世紀末の日本では、「不動産は値上がりする」という神話が生まれ、その神話に基づいた「不動産投資」という呪術が盛んに行われた。「学歴神話」というのも、なくなりそうでなかなかなくならないようだ。


*1 動物にも、「迷信行動」というものはある。自分がとった行動と、その時にたまたま起こった現象を結びつけることだ。ある行為をした時にたまたま良いことが起こると、その行為を繰り返し行うようになる。一種の条件づけとして説明できる。しかし、ある出来事が起こった時に「なんでだろう」と過去に遡って原因を探すのはヒトだけではないだろうか。これにも、過去や未来のことを自在に考えることができるというヒトの心の働きが関係しているのかもしれない。