「祭れば在すが如し。神々を祭れば神々在すが如し。子曰く、吾 祭りに与らざれば、祭らざるが如し、と。」 (八佾 十二)
先祖の祭礼を行うとき、(孔子の態度は)いかにもそこに先祖がいるかのごとくであった。自然の神々の祭礼を行うときは、そこに神々がいるかのごとくだった。孔子は言われた。「自分自身が祭礼を欠席すると、祭礼を行わなかったように(後ろめたく)感じる」
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面白い文章だ。「祭れば在すがごとし」ということは、実際には祖霊や神は存在しないと筆者は考えているのだろうか? 「吾祭りに与らざれば祭らざるが如し」という言葉から、孔子自身は霊や神の存在を信じているようにも読める。
しかし、孔子自身の宗教に対する態度も(論語を読む限り)なかなか微妙なものである。
彼は、宗教儀式をたいへん重視している。鬼(祖霊)や神(自然の神)を祭る儀式は伝統に従って正しく執り行い、簡略化することを嫌った。
子貢が羊を生贄として捧げるのをやめようとすると、「お前はその羊が勿体無いというが、私は儀式が崩れるのを残念に思う」と言って反対した(八佾 十七)。
一方で、季路に祖霊や神々に仕える方法を尋ねられると、「生きている人に仕えることがきちんとできないうちに、どうして祖霊や神に仕えられようか」と言ってはぐらかしている(先進 十二)。
季路がさらに「死とはなんなのでしょうか」と畳み掛けると、「生のことがわかっていないうちに、死のことがわかるわけがない」と返している。
たぶん孔子自身、死のことや霊魂、神などのことはよくわからなかったのだろう。これら宗教的な概念が人間にとって非常に重要であることは直感的に理解したが、それらを理論的に説明することはできなかった。その事実を素直に受け入れた結果、宗教儀式は極めて生真面目に執り行うが、宗教に関する質問には頑なに答えないという微妙な態度をとるに至ったのではないだろうか。
また、宗教や「神の宣託」が政治的に悪用される例もたくさん見たのかもしれない。
「鬼神を敬して之を遠ざくれば、知と云うべし」(雍也 二十二)は、宗教(鬼神を敬うこと)の大切さを認めながらも、世俗の事柄とは切り離さなければならないという、今でいう政教分離の原則を端的に表したものと言える。
政教分離は、現代でも大変な問題である。紀元前の中国で、神や先祖をしっかり敬いながら、世俗とは切り離しておくというのはなかなか難しいことだったろう。
世俗派からは、宗教儀式に金と時間を無駄遣いすると言われ、宗教者からは不信心者扱いをされかねない。
君子の辛いところである。
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