なにわぶし論語論第60回「之を賞すと雖も窃まざらん」

季康子(きこうし)、盗(とう)を患(うれ)う。孔子に問う。孔子対(こた)えて曰く、苟(いやしく)も子の欲せざれば、之を賞すと雖(いえど)も、窃(ぬす)まざらん、と。(顔淵 十八)

――――季康殿が、盗賊(の跋扈)に悩んでおられた。そのことについて孔子に意見を求められた。孔子は答えて言った。「あなた様が欲深くなければ、たとえ盗みを奨励したとしても人々は盗みなどしないでしょう。」――――

まあ、偉い人に向かってズケズケと言う人である。季氏は魯国の家老格の家柄である。季康と言う人は、当時の家老だったのだろう。そのご家老様が「盗賊対策に良い方法はないか」とご下問になったのに、「あなたが欲深でなければいいんですよ」という答えである。孔子はかねてから季氏の僭越や蓄財を批判していたから、今回もこういう発言になったのだろうが、こんなことを言っていれば、仕官できないのも当然である。

そもそも、偉い人が欲深でなければ泥棒がいなくなるのなら、警察は要らないのである。ご家老はもっと有効な法律とか取締りの方法をお尋ねになったのに、孔子ともあろう人が、なんと無意味な返事をするのだろう。

だが、逆を考えたらどうだろう。ある会社でなんらかの不正が頻発したとする。対策として、外部の有識者を集め、その議論を元に、検査の厳格化や罰則の強化、社員教育のためのセミナーの実施などの数々の改善策がとられる。
だが、そうした表向きの対策の裏で、社長以下の経営陣が「利益を上げることが最優先。あとのことはタテマエさ。」と考えていたら、どうなるだろうか。
現場の担当者は、全能力を上げて、規則の裏をかく方法を考えるのではないだろうか。そして、人間が作った制度は、必ず人間によって破られるのではないだろうか。

儒教はとかく精神論に傾きがちで、非現実的に見えることがある。だが、制度や規則などのシステムさえ作っておけば精神論は無用と考えるのも、同じくらい非現実的なのではないだろうか。
「文(形式、建前)質(本音、精神)が揃ってこそ君子である」(雍也十八)というのも、孔子の言葉である。

(by みやち)

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