なにわぶし論語論第54回「孔子のファッション」

君子は紺緅(かんしゅう)を以って飾らず。紅紫は以って褻服(せつふく)と為さず。暑に当りては袗(しん)にして絺綌(ちげき)もてす。必ず表して出ず。緇衣(しい)には羔裘(こうきゅう)、素衣(そい)には麑裘(げいきゅう)、黄衣には狐裘(こきゅう)。褻衣(せつい)は長く、右袂(ゆうべい)を短くす。必ず寝衣(しんい)有り、長さ一身有半。狐貉(こかく)の厚き、以って居る。(以下省略)(郷党五)

――――先生(孔子のこと)は、着物の襟や袖を紺色や鳶色など、特別な儀式の際に使う色の布地で飾ることをされなかった。また、紅や紫などのなにわぶし論語論第54回 孔子のファッションは、普段着にも使われなかった。暑い時には単衣(ひとえ)、布地も葛の布を使われた。ただし、人に会いに外出するときは、必ず上着を着用された。冬には、黒い服の上には黒羊の皮衣、白い服の上には子鹿の皮衣、黄色い服の上には狐の皮衣と、色を合わせておられた。普段着は長め、しかし右の袂(たもと)は、仕事がしやすいように短めにされていた。寝るときは必ず寝間着を使われた。その長さは身長の1.5倍であった。家では、狐や貉の厚い毛皮を着ておられた。――――

論語は、四書五経の一つであり、儒教の教科書的であるが、実は内容も編集の仕方も、全く教科書的ではない。孔子やその高弟たちの言った言葉やエピソードを順不同で列挙した、いわば言行録である。「孔先生の思い出」的な、文集である。そうはいっても、孔子の言行録であるから、どうしても道徳的な、ありがたい、悪く言えば説教くさい言葉が多くなりがちなのであるが、第十篇(郷党篇)だけは、そういった「ありがたい」話がほとんどなく、孔子の日常の様子、着るもの食べるもの、職場での立ち居振る舞いや宴会での様子などを集めてある。論語を読む者にとっては、孔子の生活をイメージするのに役立つ一編である。

今回紹介する郷党第十章は、孔子の服装についてである。
紺色は物忌のとき、とび色は喪の明けに使う色だそうで、そういう特別な時に使う色は普段着に使わないというあたりは、いかにもお堅い孔子らしい。
暑いときは家では薄着をしても、外出するときは必ず上着着用。そういえば、イギリスの時代劇に出てくる紳士たちも、淑女たちが薄手のドレスを着て扇でパタパタやっているようなときでさえ、シャツのボタンを全部止めて、上着をきちんと着て涼しい顔をしている。紳士も君子も、暑さに強くなければならないようだ。
冬の外出には毛皮のコート。しかも、下に着る服の色に合わせて3着を使い分けるというのだから、なかなかオシャレだ。いや、おしゃれというよりお金持ちだ。第51回で紹介した章では、金持ちを「狐貉を衣(き)る者」と表現していたが、孔子自身も、その一人だったわけである。
もっとも、孔子は一時期とはいえ魯国の大夫格であったから、職を辞してからもそれなりの格式を保たねばならないという事情もあったようである。そのせいでゆとりがない、というエピソードが先進篇に出てくるので、いつか紹介したい。

(by みやち)

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