子曰く、道行われず。桴(ふ)に乗りて海に浮かばん。我に従うは、其れ由(ゆう)なるか。子路、之を聞きて喜ぶ。子曰く、由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し、と。(公冶長 七)
ほのぼのとした話である。ドラマの回想シーンのようだ。もちろん回想しているのは、晩年の子路(子路は字名。孔子は本名の「由」で呼んでいる)であろう。
私邸で弟子たちと語らう孔子。少々酒も入り、ちょっとばかりボヤキが出てくる。
(ここでの孔子は、萬屋錦之介あたりに演じてほしいものだ。)
孔子「この国ぁ、近頃道理の通らねえことばかりだ。王様の周りは阿呆どもが固めて、俺に仕事をさせやがらねえ。面白くもねえ。いっそのこと、こんな国は見捨てて、筏にでも乗って、海の向こうに行っちまうか。俺について来る奴ぁ、誰かいるか。」
孔子、意地悪く一同を眺める。皆が困っている中、真顔で身を乗り出す子路。
「ま、そういう勇気のある奴ぁ、由くらいか。」
無邪気に嬉しそうな顔をする子路。呆れる孔子。
孔子「由。おめえは勇ましい奴だなあ。俺にはもったいねえくらいだ。しかし・・・」
(と、子路の顔を覗き込む)
「頭ん中ぁ、ちっと足りねえんじゃねえか。」
(一同爆笑)
少々想像を膨らませすぎだろうか。
ついでなので、もう少し想像を膨らませると、この節を書いたのは、子路の弟子ではないだろうか。晩年になり、若い頃孔子に笑われた場面を懐かしそうに繰り返し語る、その老人の昔語りを、「子路先生の十八番だからなあ。入れといてあげようか」と、論語編纂に携わった弟子たちが、紛れ込ませたのではないだろうか。
さて、今回の論語の教えはなんだろう。
それは、「子路は孔子が大好きだった」ということだろう。他に何があるだろうか。
「筏一丁で海に出るぞ」と無茶を言っても、「ついて行きます」と言う弟子がいる。君子は辛いことばかりではないのである。
☆ ☆ ☆ ☆
※ホテル暴風雨の記事へのご意見ご感想をお待ちしております。こちらから。