<先週>からの続きです。
時事ネタ(パワハラ問題)で始めて、STAP細胞事件などを掘り返して、「個人の心の中にある、組織を求める本能と個人の自由を求める欲求のあいだの葛藤が問題なのではないか」ということを書いてきた。
「問題意識はわかった。では、解決策の提案は?」
そう問われると、途方に暮れてしまうのである。
なんとか素晴らしい解決策を提案して、格好良く締めたいところなのだが・・・。
そもそも、ここで解決とはなんなのだろうか? 世の中からパワハラをなくすことが解決なのか。パワハラ事件に過敏に反応する我々の心の中の不安をなくすことが解決なのか。
この二つは実は同じことなのかもしれない、と思う。
心の中のことは良くわからないので、とりあえずパワハラについて考えてみる。
パワハラで大きなニュースになった事件の多くがスポーツ団体や学校の運動部で起こっているということは、一つのヒントにならないだろうか。
スポーツには勝敗があり、結果がわかりやすい。勝つことが良いことで、負けることは悪いこと。とても単純な価値観だ。もちろん、本来スポーツには、フェアプレーの精神とか互助の精神とかもあるはずだが、特にハイレベルな競技者になる程、「結果が全てだ」という声に抗うのは難しいだろう。そのほか、営業利益を上げることが至上命令になった民間企業などでも、同じように価値観の単純化が起こっているとは考えられないだろうか。
人がたくさん集まれば、当然バラけが出てくる。しかし、人がたくさん集まった大きな組織ほど、「ガバナンスの強化」「効率化」と言ったスローガンのもと、価値観の統一が図られる。我々も、群れとの一体感は好ましいから、同じ価値観を持とうとする。しかし、やはり完全には一致できない。そのあたりの矛盾が、多くの人になんとなくの気持ち悪さを感じさせ、ときに一部の人に深刻な事件を引き起こすのではないだろうか。
で、解決策は?
さて。不真面目になることでしょうか?
(来週からは通常営業です。)
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