なにわぶし論語論第69回「我を知る莫きか」

子曰く、我を知る莫きか、と。子貢曰く、何為れぞ其れ子を知る莫し、と。子曰く、天を
怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か、と。
(憲問 三十五)

――――先生が言われた。「私(の価値)を知る者はいないな。」
子貢が言った。「どうして先生のことを理解する者がいないなどと言えましょうか。」
先生はまた言われた。「天を怨んだりしない。人を咎めたりもしない。私は(若い頃)、初歩的なことから学び始め、より高いところまでたどり着いた。私を理解する者は、天であろうか。」――――

「我を知る莫きか」。とうとうこの言葉が出てしまった。

なにわぶし論語論の第1回では、論語の冒頭の最も有名な章「学びて時に之を習う、また悦ばしからずや、、、」を取り上げた。その章の結びは、「人知らずして慍(いか)らず。亦(また)君子ならずや」であった。そこには、実力もやる気もあるのに、政界で活躍の場を与えられず、人々から忘れられていく(と、自分で思っている)孔子の悔しさがにじんでいるというのが、私の解釈だった。

じつは、論語の中では「人知らずして慍らず」に類する言葉が度々登場している。「人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患う」(学而十六)、「己を知る莫(な)きを患えず。知る可きを為さんことを求む」(里仁十四)。
他にもあったはずだ。これだけ何度も論語に登場するということは、孔子はよほどしばしば、同様のことを弟子たちに言っていたのだろう。だが、今回は、これまでとはまた雰囲気が変わっている。
今までは、人に知られなくても、「怒らないのが君子だぜ」「自分が人を知らないことの方が問題だ」「人に知られるようなことをしなきゃな」などと、やせ我慢して頑張る気持ちを前面に出していたが、今回は、とうとう諦めた、と言う感じである。
聞いた子貢も困ったのだろう。「そんなことがありましょうか」と返すのがやっとだった。

おーい、孔子さんよー。あんたの名前は21世紀まで残ってるんだから、安心しなー。あんまり弟子を困らすんじゃないよー。

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