なにわぶし論語論 第76回「仕えざれば義無し」

子路 従って後(おく)る。丈人(じょうじん)の杖(つえ)を以って蓧(じょう)を荷うに遇(あ)う。子路問うて曰く、子 夫子(ふうし)を見たるか、と。丈人曰く、四体(したい)勤(つと)めず、五穀 分(ぶん)せず、孰(たれ)か夫子と為す、と。其(そ)の杖を植(た)てて芸(くさぎ)る。子路拱(きょう)して立つ。子路を止(とど)めて宿(しゅく)せしめ、雞(にわとり)を殺し黍(きび)を為(つく)りて之に食らわしめ、其の二子(にし)を見せしむ。明日(めいじつ)子路 行(さ)りて以って告ぐ。子曰く、隠者なり、と。子路をして反して之に見えしむ。至れば則ち行(さ)れり。子路曰く、仕えざれば義無し。長幼の節は、廃す可からず。君臣の義は、之を如何ぞ其れ之を廃せん。その身を潔くせんと欲して、大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行なう。道の行われざるは、已に之を知れり、と。
(微子 七)

――――子路が孔子に随行していて一人遅れたことがあった。歩いているうちに一人の老人が杖をついてかごを背負っているのに出会った。子路がその老人に「先生をご覧になりましたか」と尋ねた。老人は答えた。「体を動かして労働もせず、種まきもしないような奴を誰が「先生」などと呼ぶのじゃ」。そして杖をつきながら草取りを続けた。子路は(ただ者でないと感じ)手を組んで丁寧に礼をした。老人は子路を自分の家に泊め、わざわざ鶏を殺し、キビを炊いてもてなし、二人の息子に引き合わせた。翌日子路は出発し(、孔子一行に追いつい)た。前日のことを孔子に報告すると、孔子は「隠者だな」と言い、子路をもう一度その老人のところに行かせた。子路が到着すると、老人は何処かに出かけて不在だった。そこで子路は、老人の息子たちにことづけた。「公職に就かなければ、義(道徳)を実践することができません。(昨日あなたがたが示してくれたような)長幼の礼儀などの個人的な義(道徳)は失ってはならないものですが、同様に、君臣などの、公の義もまた失ってはなりません。個人的な義を全うしようとして引きこもっていると、大きな(公の)倫理道徳を乱すことになりかねません。君子が国に仕えるのは、その義を実践するためです。(最近の政治において)道徳が行われていないことは百も承知の上です。」――――

おそらくは、孔子がポストを求めて各国を行脚していた時のことであろう。孔子の猟官運動については、悪くいう人もかなりいたようで、論語の中でも、そのようなエピソードがいくつか取り上げられている(たとえば第68回)。今回は、わざわざ子路を使いにして、批判者である老人に反論を言わせている。ただし、極めて礼儀正しく。
老人が通りがかりの子路を、礼を尽くしてもてなしてくれたので、孔子たちも、失礼な態度を取るわけにはいかなかったのであるが、それだけではなかろう。
実は孔子にも、乱れた世間から逃げ出して、隠者になってしまいたい、あるいは海の向こうにでも行ってしまいたいという気持ちがあったのである(第28回参照)。だから、隠者として暮らす老人に共感するところもあったのだろう。その一方で、なんとか世の中を良くしたい。そのためには、少々問題のある人物の下や問題のある政府の中でもいいから政治家としての地位を得たいという気持ちもあった(たとえば第72回)。
ゆれる男ごころである。

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