前回は、韓流ドラマを引き合いに出して、科学、合理が幅を利かす現代において、宗教という「非科学的」「非合理的」なものについて考える意味を(控えめに)主張してみたが、今回は、少し客観的資料に基づいた話をしてみたい。
日本を始め先進国では、20世紀の間に寿命が飛躍的に延びた。これには様々な理由があるだろうが、科学の進歩が貢献していることは当然であろう。昭和の初めまではすぐに死につながった様々な病気も、今では治る病気になった。その他、台風や地震といった自然災害でも、命の助かる人の割合はずいぶんと増えたであろう。要するに、人がなかなか死ななくなったのである。
死ななくなった? そんなことはない。1人の人が1回死ぬと言う事実は、縄文時代でも現在でも全く変わりはないはずだ。では何が起きているのか? 若い人(中年まで)がほとんど死ななくなり、高齢者ばかりが死ぬようになったのである。
グラフを参照いただきたい。(上【図1】 下【図2】)
図1は厚労省が公開している明治32年〜平成25年の年代別死亡率、図2は総務省統計局が公表している年代別死亡率の表から私が作成した、昭和元年と平成24年の年齢別死亡率のグラフである。
図1からすぐにわかることは、近年の死亡者の9割近くが65代以上の高齢者であり、過半数が80歳以上であることだ。昭和35年(「三丁目の夕日」の時代)には、約半数を65歳未満が占めているのと好対照である。
図2を見ると、昭和元年には、15歳〜49歳までの各年齢層で、人口千人あたりの死亡者数は約10人である。学校の同級生が100人いたら、毎年1回葬式がある計算である。一方、平成24年には、50歳未満の死亡者数はほぼ0である。50歳を過ぎるまで、自分と同年代の人の死に遭遇することがほとんどないと言うことだ。
日本仏教は葬式仏教だと揶揄されることがあるが、死者を弔い、遺族を慰めると言うのは、宗教の一つの大きな役割であろう。最近、無住の寺、檀家不足で廃業する寺が多いと聞く。一般の人々と宗教との関わりがきわめて希薄になっていることの表れと言える。中年以下のほとんどの人にとって、死が縁遠いものになってきていると言うことが、理由の一つではないか。
一方で、現代の我々は今後、既成宗教との結びつきを無くした状態で高齢期に入り、自分の死と直面することとなる。そのときに生じてくる死生観、宗教観とはどんなものであろうか。
逆説的ではあるが、歴史の中で文化の影響を受けながら発展した既成宗教の影響から離れて死と向き合うことで、宗教の本質が見えてくるかもしれない。