子曰く、父在せば其の志を観よ。父没すればその行いを観よ。三年 父の道を改むる無くんば、孝と謂うべし。(学而編十一)
以前にも書いたが、身近な人間関係における道徳を敷衍して政治倫理を語るのが孔子のいつものやり方である。親に対する孝はそういった徳目の中でも最も重要とされるものの一つだ。
だが、現実には子供から見てどうしても尊敬しようのない親というのもいるものである。酒を飲んでは些細なことで腹を立て、ちゃぶ台をひっくり返すような親に対しても、売り言葉に買い言葉で「上等だっ。出てってやる!」などと叫んで飛び出してはいけない、孝の気持ちを持ちなさいと言われても、どうすれば良いのか。
そういう時には、ちゃぶ台をひっくり返すという行いではなく、父の志に思いを巡らせよ、と孔子は説く。
「お父さんはね、あなたが憎いわけじゃないのよ。あなたに強くなって欲しいのよ」と、目に涙をためながら諭す、色白のやさしいお姉さんの気持ちになってみろということである。
父の死後、日数がたてば、次第に故人の悪かったことというのは忘れられ、良い思い出だけが残ってゆく。そうなれば、記憶の中の父の行いを思い起こせば良い。
親子というのは、知らず知らずのうちに行動が似てくるものである。親と同じことをしている自分を発見した時、「これが孝というものだ」と考えれば、精神衛生上も大変によろしかろう。そのためにも、父の存在を肯定し、幾分美化しておくことは役立つだろう。
「そんな風にうまく行くかい!」という読者の怒りの声が今にも聞こえて来そうである。あまり怒らないでいただきたい。筆者もつらいのである。