「子曰く、富と貴とは、是れ人の欲する所なり。その道を以ってせざれば、之を得とも処らざるなり。貧と賎とは、是れ人の悪む所なり。その道を以ってせざれば、之を得とも去らざるなり。君子は仁を去らば、悪(いず)くにか名を成さん。君子は終食の間も仁に違うこと無く、造次にも必ず是れに於いてし、顚沛にも必ず是れに於いてす。」 (里仁 二)
――――豊かさと身分の高さ(肩書きや世間の注目)は、人が欲しがるものだ。しかし、もし道義に反する方法で得たのなら、(私なら)それらを捨てる。貧しさと身分の低さは、人が嫌うものだ。しかし、もし道義に反する方法でなければそこから抜け出せないなら、(私なら)そのまま受け入れる。君子は仁(道義や人間性)から離れたら、どうやって名誉を保てようか。(後略)――――
これは筆者の訳で、専門家の訳とは少し違っているが、大意は違いない。(専門家の訳については、成書を読んでいただきたい。筆者のお薦めは、加地伸行「論語 増補版」(講談社学術文庫)である。)
高収入や人から尊敬される肩書きは、みんなが望むものだ。だが、道義に反するようなことで得たのならば、そんなものは捨ててしまった方が良い、と言うのである。
至極もっともな意見だが、紀元前の中国ならぬ現代の高度資本主義社会に生きる我々にとって、これはそれほど簡単なことではない。そもそも、道義に反しているかどうかを見極めることからして難しい。
あなたが若手の会社員だったとしよう。同期の多くと同じく、社内での肩書きは、なんとか主任とか、なんとか代理とか、管理職一歩手前だ。ある年の人事異動で、あなたは同期で一番に課長に昇進する。だが、あなたは自分が同期の中で一番優秀とはとても思えない。これは、大学の先輩である人事部長のえこひいきではないか。
だが、当の部長は、「君にはみんな期待しているよ」とニコニコして言っている。さあ、これはえこひいきなのか、本当の期待なのか?
逆もまた真なり。たいして優秀でもなさそうな同期が出世していく中で、あなたはいつまでもヒラのまま。これは、自分を嫌っている上司の意地悪なのか、正当な評価なのか?
いくら考えたってわからないし、わかったと思っても、証明はできない。複雑化した組織に生きながら君子をやるのは、辛いのである。
しかし、自分だけ割りを喰ってるなあ、と思ったときに、物の見方を変えるよう促す言葉も、孔子は残している。次回にご紹介する。
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