なにわぶし論語論 第73回「六言六弊」

子曰く、由や、女、六言六弊(りくげんりくへい)を聞けるか、と。対(こた)えて曰く、未(いま)だし、と。居れ、吾(われ)女(なんじ)に語(つ)げん。仁を好みて学を好まざれば、その弊(へい)や愚。知を好みて学を好まざれば、その弊や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、その弊や賊(ぞく)。直を好みて学を好まざれば、その弊や絞(こう)。勇を好みて学を好まざれば、その弊や乱。剛を好みて学を好まざれば、その弊や狂。
(陽貨 七)

――――孔子が言った。「由よ、君は六つの(徳を表す)言葉と、その六つの弊害について聞いたことがあるか」。
(子路は)答えて言った。「まだでございます」。
「座りなさい。君に教えてあげよう。仁(仁愛)を好むだけでそれを適用する方法を学ばないと、その弊害は愚(愚かさ)。知(知性)を好むだけでそれを適用する方法を学ばないと、その弊害は蕩(取り止めなさ)。信(約束を守ること)を好むだけでそれを適用する方法を学ばないと、その弊害は賊(傷つけ合うこと)。直(まっすぐさ)を好むだけでそれを適用する方法を学ばないと、その弊害は絞(息苦しさ)。剛(意思の堅さ)を好むだけでそれを適用する方法を学ばないと、その弊害は狂(独りよがり)だ」。――――

相変わらず上手いことを言う人である。予備校に勤めたら、人気講師になっただろう。孔子はいつも弟子たちに、詩を学べと言っているが、このような対句と繰り返しを駆使した話し方というのも、詩から学んだことだろうか。

仁、知、信などは、君子の身につけるべき徳としていつも孔子が強調しているものだが、無闇矢鱈と突き詰めれば、逆に有害となる。物には程というものがあるし、原理を現実に適用するためには、それなりの方法、お作法を身につけなければならない。そして、そういうものは、理論的に考えてもわからない。経験から学ぶしかないのだ。
孔子は論語の中で様々な徳について語っているが、それらと並んで、いや、個々の徳以上に「中庸」が大切と言っている(「中庸の徳たる、それ至れるかな」雍也二十七)。
中庸を失い、現実的な問題に適用する方法を学ばなければ、孔子が挙げた六つの徳目に限らず、どんな徳目でも有害となるだろう。

さて、今回孔子は、子路に向かって、わざわざ「吾女に語げん」と言って語っている。やはりこれは、「思い込んだら一直線」の子路が心配で、とくに彼に言い聞かせたということだろうか。

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