なにわぶし論語論第50回「一簣を覆して進むといえども吾が往くなり」

子曰く、譬(たと)えば山を為(つく)るが如きに、未だ成らざること一簣(いっき)にして止むは、吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如くに、一簣を覆(くつがえ)して進むと雖(いえど)も、吾が往くなり。(子罕 十九)

――――孔子の言葉。たとえば山を作ろうとしていて、あともっこ一杯の土を積めば終わりというところで仕事をやめたら、それはやはりやめたことには変わらないと私は考える。一方、例えばこれから凸凹の地面を均して(広大な)平地を作ろうとするときに、たったもっこ一杯の土を運んだとしても、それは仕事を(一歩)進めたということだと、私は考える。――――

なにわぶし論語論も、50回の節目を迎えることができた。これも読者の皆さんと、編集者であるオーナーの叱咤激励のおかげである。今後ともよろしくお願いいたします。

さて、今回は節目の会ということで、論語の中でも私の一番お気に入りの節をとりあげてみた。
実は私は、この節の内容自体は、そんなにオリジナリティーに溢れるものだとは思わない。前半部分については、ほかにも「百里の道をゆくときは九十九里をもって半ばとせよ」という有名な言葉がある。後半部分についても、「とにかく始めることが大切」というのは、よく言われることである。
内容的にはありふれたものなのだが、例えの上手さはさすが孔子である。「山を作る」、「平地を作る」という視覚的イメージに訴える例えを、さらに対にすることで綺麗に仕上げている。語調も良い。
また、この二つの教えをセットにし、この順序で言ったというのも、実は素晴らしいアイディアではないだろうか。
まずは「どんなに立派な仕事も、最後までやり遂げないと意味がないぞよ」と言って戒める。大切なことだが、それだけで終わらせると、なんだか説教臭い話になってしまう。そこで、「難しくてできそうもない仕事だと思っても、一歩踏み出すだけでも、進んだことになるんだよ」と言って、励ます。
これを聞いた弟子たちは、「よし、頑張ろう」と言う気持ちになったのではないだろうか。
こういう言葉がアドリブで出てきたのなら、全くお見事と言うほかない。弟子が増えるわけである。

(by みやち)

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