<Side A> 青年と私
コックの白い服を着た
コック見習いの青年が
せかせか歩いてやってくるのを
ぼーっと歩いていた私は
ほとんど気づいていなかった
すれ違うとき青年は
私と肩がぶつかったが
あっと思っただけで私は
そのまま何歩か歩いたとき
やっと気づいたのだ青年が
私のナイフを持っていることに
ぶつかった衝撃で私は
持っていたナイフを放り出し
気づきもせずに青年は
そのナイフを受け止めた
呼び止めることもできた私は
でも迷っているうちに
首をかしげて青年は
そのまませかせかと店に入った
青年の後ろ姿を見ながら私は
まあいいかとそのまま歩いた
安い小さなアーミーナイフだしそれに青年は
店のあと片付けで忙しいだろう
大したことじゃないと私は
角を曲がりまた歩きづづけたとき
皿洗いをしているはずの青年が
ずんずん歩いてやってくるのを
立ち止まらずに振り返った私は
見て思ったああたぶん
私のナイフを青年が
私に返しに来てくれるのだと
止まって待つのも照れ臭い私は
わざとゆっくり歩いてみた
ずんずん歩いて青年は
追いついて私に手渡した
ナイフと折詰をもらった私は
少し面食らいながらありがとうと言う
ナイフと折詰をくれた青年は
夜の中へと帰って行った
青年は去り私の手には
青年が返してくれたナイフと
青年が分けてくれた賄いの折詰
なんの判じ物か
考えるのは折詰を食べてからにしよう
ナイフは無事戻って来たことだし
☆ ☆ ☆ ☆
<Side B> 道具の発明と技術の習得について
たとえばナイフという道具がある。包丁、刀、斧など、様々なバリエーションがあるが、薄い金属片の一辺(あるいは二辺)を鋭利に研ぎ上げたものである。発明されたのはいつ頃だろう。石器時代にも石包丁というものがあったそうだが、金属製のものに限ってみても、青銅製の鉾などは、数千年前からあったようだ。人類に及ぼした影響という点においては、ナイフの発明の方が原子爆弾の発明よりも大きかったかもしれない。
どこの誰が発明したのかは知る由も無いが、ともかくその人物は、人類の運命を一変させた。牙を持たない哺乳類である人類に、牙以上のものをもたらしたのだ。何千年だか何万年だか前に人類が手にしたナイフは、その後様々な工夫を加えられ、姿を変えてきた。材質ひとつ取っても、初めは石で作られていたものが、青銅、そして鉄へと進化した。何しろ便利な道具であるから、狩猟、戦闘、料理、農耕、道具作りなど、様々な用途に応用され、用途に応じて機能、形態を分化させた。鋭利な刃には持つのに便利な柄がつけられた。安全に持ち運びができるように、鞘が作られ、今では折りたたみ式のナイフというものがある。これはまた大きな発明である。この発明により、例えば釣り人は今や、手軽にナイフをポケットに入れて釣りに行き、釣った魚をたちどころにさばくことができる。このようなことができるのも、我々の先人が数千年にわたってナイフの製造技術を進歩させ、その技術を伝えてきたからだ。おかげで現代の我々は、なんの苦労もなく数百円でアーミーナイフを購入し、ポケットに入れて持ち歩くことができる。
だが、ナイフを使いこなす技術となると、話は別である。そのような技術は数百円では、いやいや何百万円払っても買うことはできない。魚の鱗を素早く綺麗に取り、骨と身を分け、ととのった切り身を作る技術。野菜を無駄なく切りそろえ、皿の上の美しい芸術品とする技術。こうした技術は、長年にわたる訓練によってのみ身につけることができる。例えばレストランの見習いとして。皿洗いをしたり、賄い飯を食ったりしながら。
☆ ☆ ☆ ☆
※ホテル暴風雨の記事へのご意見ご感想をお待ちしております。こちらから。