電車 居眠り 夢うつつ 第40回「性善説」

中高年男性というのは、いろいろ言葉遣いにうるさいものである。
テレビのグルメ番組で「どうぞ、いただいてください」というのを聞いて眉間にシワを寄せたり、コンビニで「397円ちょうどお預かりします」と言われて鼻の穴を膨らませたり、サプリのコマーシャルの「・・・の効果があることが報告されています」というフレーズにイチャモンをつけたりするのは、だいたい中高年男性である。
私ももちろんそういうのが気になる方だが、人に言うと嫌われるので、同世代の男性と酒を飲んでいる時以外は(あまり)言わないようにしている。

だが、それにしてもこれはあんまりじゃないかと言いたくなることもあるのだが、「性善説」はその筆頭である。
「性善説」という言葉は、年に1、2回はニュースの中で出てくるのではないだろうか。
だいたい使われるシチュエーションは決まっている。組織の中の誰かが悪いことをする。それが発覚して調べてみると、組織の側に、そのような悪事を未然に防ぐような仕組みがなかったことがわかる。そういうときに、件の組織の偉い人が言い訳のように言うのが、「我々は性善説に立っているので、このようなことは想定していなかった云々」という言葉である。

つまり、ここで言う性善説というのは「人は悪いことをしない」という説なのだ。

これを孟子が聞いたら、びっくり仰天腰を抜かすに違いない。だいたい、放っておいても人が誰も悪いことをしないのだったら、儒学は必要ない。孟子を含めて儒者は全員失業してしまうのである。(まあ、孟子はだいたいいつも失業状態だったようだけど。)

人はいろいろ悪いことをするし、悪いことを考える。悪いことばかりする人もいる。しかし、誰でも生まれた時は善の心を持っていて、悪いことをする人でもがんばれば善の心を取り戻して、善を行うことができるのだ、というのが孟子の性善説だ。

孟子の性善説、荀子の性悪説というのは、高校の倫理社会で教えることだと思うが、私自身、学校で「性善説」をどう教わったか、全く記憶がない。多くの人が同様ではないだろうか。だからこそ、「性善説」が間違った使われ方をしても、誰も不審に思わないのだろう。

ちなみに、何か不祥事が起こった時に「性善説」を持ち出すのは学校関係の偉い人たちのことが多いような気がする。せめて学校の先生たちは、正しい言葉の意味を理解しておいてもらいたいものである。

(by みやち)

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