子曰く、與に言うべくして與に言わざれば、人を失う。與に言うべからずして與に言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦言を失わず。
(衛霊公 八)
――――孔子の言葉。「(ここぞという場面で)その人と一緒に発言すべきであるのに黙っていると、人望を失う。逆に、言うべきでないことを、人の尻馬に乗って言うと、失言になる。知者というものは、そのようにして人望を失ったり、失言をしたりしないものだ。」――――
「失人」は、言うべきことを言った当の人物からの信頼を失うという意味にも取れるし、発言しなかった自分の人柄がダメだということになる、という意味にも取れる(「失言」の人柄版)。どちらにしても、人望を失うことには変わりない。
あまりにも正しすぎて、何一つ付け加えることはない。「まったくその通りでございます。」と頭を下げるしかない。
会議の席で、「大人の事情」を理解しない奴が、あまりにも素朴な疑問を口にする。会議室に静かな嘲笑が広がる中、「その疑問はもっともだと思います」と言えるか? 誰かが悪者になって皆からバッシングを受けている時に、「それは言い過ぎでしょう」と言えるか? なかなか難しいことである。
ただ、ちょっとだけ引っかかることがあるとすれば、なぜここで孔子が「仁者」ではなく「知者」という言葉を使ったのか、ということだ。「知者」は、賢明な人ではあるが、人格の優れた「仁者」よりは一段下に扱われることが多い。
ここから先は、筆者の、おそらくは余計な解釈である。
人としてもっとも正しいのは、単に「與に言う」だけでなく、最後まで一緒に論戦し、他の人たちを説得するところまでやり抜くことだ。「與に言わざる」だけでなく、言われている当人を弁護して守ってやることだ。そこまでやって、初めて仁者と言えるのではないだろうか。そこまではできなくとも、言うべきことは一応言っておき、言うべきでないことは黙っておく、そういうことができれば、知者と言えるのではないだろうか。
仁者になるのは大変だ。せめて知者を目指すことにしよう。
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