映画「グラン・ブルー」(1988/リュック・ベッソン監督)は御存知だろうか。フリーダイビングの世界記録に挑むふたりの男の友情と戦いの物語である。「ジャン・レノと言えばこの映画」と評論家が書いていた記憶がある。
公開当時、この映画はフランスの若者から絶大な支持を獲得した。パリの映画館では、毎回の上映で大きな拍手が沸きおこった。
当時32歳だった私はその評判を耳にして「これは観たいな」と思い、有楽町の映画館に行った。その時に買ったパンフレットで、ジャック・マイヨールの名を見た。この天才ダイバーとリュック・ベッソン監督が出会うことで、映画「グラン・ブルー」は誕生したのだ。
「ジャック・マイヨール。……はて、どこかで聞いたような」と思った。映画館を出て居酒屋に入り、パンフレットを読みながら飲んでいる時に「あっ、あの時の」と思い出した。
ジャック・マイヨールの名を最初に聞いたのは「琵琶湖畔の男」からだった。私は有楽町の居酒屋を出て自宅に戻ると、11年前のスケッチブックを探した。表紙に「1977」とマジックインキで記したスケッチブックをようやく見つけ、開いてみた。はたしてそこにジャック・マイヨールの名を記したメモがあった。彼は1976年に人類史上に残る記録を打ち立てていた。なんと素潜りで100mを突破したのだ。「琵琶湖畔の男」はそのことを知っていた。
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「まあコイツは超人なんで、マネはできんけどな」と男は言った。「しかし人間は、やればここまでできる」
その当時、21歳の大学生だった私はジャック・マイヨールという男が素手で海水をかきわけながらどんどん深く潜って行く光景を連想した。実際には「グラン・ブルー」を観ると、記録に挑戦する男たちはダイバースーツに身を固め、一種の重しのようなものにつかまって、一気に海底深く降りてゆく。「潜って行く」というよりも「降りて行く」といった感じだ。
「酸素ボンベを使えば、普通のダイバーでも100mぐらいなら大丈夫なんですかね?」
「まあそうだ」と男は言った。「訓練すれば行ける。しかし多少の恐怖にたえる神経をもってないとだめだ」
「多少の恐怖」私はその言葉に興味を持った。「なにが怖いのです?……光がないという恐怖ですか?」
「それもある」男はさも意味ありげにニヤッと笑った。「……しかしそれだけじゃない」
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あれこれ想像してみたのだが、なにしろ経験がない。この男には経験があるのだろうか。
「なにが怖いのです?」
「ひとつは水温だな」
「すごく冷たいということですか?」
男は手帳を開いた。
「50mあたりで7度らしい。100mあたりじゃ5度で、しかもそれは年中変わらん。そんなところに人が沈んだらどうなると思う?」
「腐らない、ということですね」
「最適の保存場所だ。バクテリアも繁殖できない。ということは、死体の内部にガスがたまらない。浮かんでこない」
言葉もなかった。恐ろしい光景だった。そんな死体が何体もゆらゆらと湖底を漂っているというのか。
「……しかしボート部員たちは、最終的に全員が見つかったのでは?」
「大学生たちはな」
「ほかにもいると?」
「いるさ。ゴロゴロいる。なにしろあの場所は、昔からいわくつきの場所だ。ボート部員だけじゃない」
男はさも愉快そうにニヤニヤと笑った。
「いったいほかに?……だれが?」
「なにしろあれは古い」と彼は言った。「世界で4番目に古い古代湖だ」
「古代湖!」
そうした言葉で琵琶湖を考えたことはなかった。
…………………………………… 【 つづく 】
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