【 曜日感覚後退 】
延暦寺に到着してからこれまで綴ってきた経過を整理すると、以下のようになる。
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【 到着日 】
・大広間で二人の僧とあいさつ
・坐禅の作法を学ぶ
・作務衣に着替える
・庭掃除
・昼食(正午頃)
・庭掃除
・夕食(18時頃)
・坐禅
・就寝(21時頃)
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【 2日目 】
・起床・洗顔・坐禅(4時半頃)
・朝食(7時頃)
・読書
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以上は8歳の自分が綴った日記を唯一の資料として書いてきた。我ながらよくこんな「クロッキーブック雑記帳」みたいなものを残したものだと思う。しかしやはりそこには8歳ならではのムラというか不安定というか意味不明というか、そういうものが多々ある。かずくんから学んだ坐禅の作法を克明に書いているかと思えば、その後の夕食について1行も書いていなかったりする。気に入らなかったから書かなかったのか、なにか理由があったのか、さっぱりわからない。そうしたムラにはあきれるばかりだが、そもそも「記録する」という認識というか意欲というか、そういうものは全くなかったのでこれはもうどうしようもない。
ともあれ、2日目から3日目あたりから、時系列的に「なにをした」という記述がガタガタになってきている。たぶん朝の起床から夜の就寝まで、同じような仕事(ではなく修行)の繰り返しに慣れてきた(だれてきた)のだろう。その結果、「書く」意欲が徐々に削がれていったと思われる。我々2少年にとってはここでの生活は修行どころか、刑務所のような退屈極まる暮らしだったのだ。
面白いことに毎日の「時間がわからない生活」というのは私の場合、ついに日付感覚・曜日感覚まで後退していったようだ。3日目、4日目には日付も曜日も書いていない。私が愛用していたのはクロッキーブックであり日記帳ではなかったので、紙はただの白紙であり日付・曜日は前もって印刷されていない。そのためクロッキーブックに書かれた内容はポンと半日ほど飛んでいたりもあったりで、「なんだこれは?……いきなりなんでこんな話が出てくるんだ」なんてことばかり。60年前の自分に苦情を言うわけにも行かない。苦笑するしかない。
【 夜景 】
以上のような理由で(言い訳で)3日目または4日目の夜、というアバウトな表現となってしまうのだが、21時の就寝を少し過ぎた頃にかずくんが私に声をかけてきた。
「夜景を見に行かへん?」
これには驚いた。修行どころか、消灯時刻以後にこっそりと部屋をぬけだそうというのだ。もし見つかったら山門から外に放り出されるにちがいない。私はもちろん賛成した。
かずくんは以前にもそれをやったのだろう。彼は迷わない足どりでお堂を抜け出し、ほとんど月明かりをたよりに道を歩いた。
「満月を待ってたんや」
彼はめずらしく上機嫌だった。待ち望んでいた満月の夜が曇り空ではなかったので、すごく嬉しかったのだろう。
その場所は確かにすばらしい夜景スポットだった。琵琶湖を取り巻くようにして大津の街がキラキラと宝石を散りばめたように輝いていた。ふたりの少年は立ったまま、しばらく無言でその景色に見惚れた。黒々と沈んだ琵琶湖の湖面は、まるで丘から流れてきた宝石の川を飲みこむ大きな(そして不気味な)穴のように見えた。
ドサッと音がした。見ると、かずくんは地面に座りこんでいた。しばらくして彼は立膝に顔をくっつけるようにして、鼻をすすりはじめた。この泣き虫少年は、なにかというとすぐにグスグスやり始めるようなところがあった。
「帰りたい。はよ、帰りたい」
夜景は京都ではなく大津だったが、彼は明らかにホームシックの湖にズブズブと沈降していた。私は無言で彼のわきに立っていた。なぐさめようにも、なんと言ってなぐさめたものかさっぱりわからなかった。
その後しばらく、20代になっても30代になっても、私は山から夜景を眺めた時はこの時のふたりを思い出した。
【 つづく 】