【 魔の目撃 】(5)

現場監督は口ひげ、小太り、黒ブチ眼鏡、といった男で、私は好感を持っていた。当時……この話は1978年頃の話なので、かれこれ40年ほど前の話になるのだが……SF小説を読みあさっていた私は、小松左京のファンだった。現場監督の風貌は小松左京と似ていた。「この人に小松左京と言ったところで、たぶん知らんだろうな」と思いつつ「……お、今日は小松左京、なんだかカリカリしてるぞ。さては次のSFに行き詰ったか」などと内心であだ名をつけて遊んでいた。

その小松左京が無言で人差し指を少しだけ動かした。「ちょっとこっちに来い」と言ってるのだ。私も無言でうなずいた。
彼は先に歩き出した。プレハブの事務所に向かっていたので中に入るのだろうと思っていたら、そうではなかった。ドアの前を少し通り過ぎたあたりで立ち止まり、私に向き直った。さりげなく周囲に目を配っている。話を誰にも聞かれたくないのだろう。
「ヤツは中にいる」と彼は言った。キツネ男のことだとすぐにわかった。彼は私の目の奥を探るような視線を送りながら、しかし微笑を絶やさず相談を持ちかけてきた。内容は本人に「病院に行きたいかどうか聞いてほしい」ということだった。その上で「……もし救急車を呼んでほしいと言ってきたら」と彼は続けた。それはなんとかやめさせてタクシーを呼び、すまんが病院まで同行してやってほしい。
「もちろんタクシー代は払う。帰りもタクシーを使っていい。領収書をもらってきてくれ」

現場監督は胸ポケットからラッキーストライクを出した。無言でその箱を見せて「やるか?」と聞いてきたので「タバコはやらない」と伝えた。軽くうなずき、自分は1本出し、銀色のジッポライターで火をつけながら「面倒くさいことを頼んですまんな」と言った。「器用な人だな」と私は内心でちょっと感心した。口のへりにラッキーストライクをくわえたままで話をしている。
「もちろんこういうことは……」と彼は言った。すべて現場監督がやるべき仕事なのだ。キツネ男の希望を聞くことも、場合によっては救急車を呼ぶことも。しかし救急車がサイレンを鳴らしながらここに入ってくるという事態は、彼にとってはなんとしても避けたいようだった。
「色々と書類が面倒でな」と彼は言った。
私はうなずいた。要するに私がキツネ男の状況を確認し、本人の希望を聞き、もし彼が救急車を求めていたらそれを止め、さっさとタクシーを呼んで彼を病院に連れて行けばいいのだ。全ては私の状況判断ということにすればいいのだ。

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事務所に入ると、キツネ男は折りたたみ式の簡易ベッドで横になっていた。意識はあるのだろうか。近づいてみると、うっすらと目を開いた。意識が混濁しているのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
かすかにうなずいた。
「救急車をよびますか?」
かすかに首をふった。やれやれという気分だった。意識はしっかりしているようだ。
「水でも飲みますか?」
かすかにうなずいた。反射的に上体を起こしたものの、周囲を見回して、ここには水道が来ていないことに気がついた。トイレだって外にある電話ボックスみたいな狭い箱だ。じつを言うとこの仮設トイレを使うのがイヤでイヤで、午前中に行きたくなっても昼メシ休憩までずっと我慢していることが何度もあった。ヤカンをさがしたが、それさえない。誰かが昼メシ休憩の時にどこかで水を汲んできて、ドンとテーブルの真ん中に置いていたことを思い出した。……さてどうする?

そうだ。ミネラルウォーターがあった。今朝ここに来る途中でコンビニに寄って、ミネラルウォーターを買ってきたことを思い出した。
壁際にある金属製の棚に走り、そこに置いてある自分のリュックからミネラルウォーターを出した。テーブルに並んでいるプラスチックの湯飲みにそれを注ぎ、彼に見せた。ゆっくりと上体を起こそうとしたので左腕で背中を支え、右手で湯飲みを渡した。
彼はゴクゴクと喉を鳴らして一気にそれを飲んだ。たかが水だがその飲みっぷりに感心し、「どうやら大丈夫だな」と安堵した。「もう一杯飲むか?」と聞いてみたが、首を振った。湯飲みを受け取り、左腕で背中を支えながら、慎重に元どおりの位置に彼を戻した。
「なにかしてほしいことはありますか?」
目を閉じたまま、かすかに首をふった。安堵したものの、どうしたらいいのかわからなかった。とりあえずミネラルウォーターをリュックに戻し、もう一度彼の様子を伺った。目を閉じたままだった。しばらく安静にしておれば、大丈夫だろう。

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事務所を出ようとしたその時だった。
「なあ」
彼の声だった。目を開けて私を見ていた。
「すまんが、もう少しここにいてくれんか?」
意外なほどに、それは弱々しい声だった。私はうなずいた。

……………………………………   【 つづく 】

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