【 魔の湖底 】(9)

私の母校は東京学芸大学である。日本の教員養成機関としては国立の最高学府であるはずだが、その(旧制バラック)男子寮に住んでいた時代に「カツアゲのテクニック」を(寮内の談話室で/酒を飲みながら)聞いたことがある。高校時代にツッパリをしていた寮生がおり、複数の(裕福な御家庭の)下級生からかなり巻き上げたらしい。そんなのが(卒業したら)「故郷の高校で美術教師になる」なんて言ってるのだから「日本の美術教育も終りだな」と当時は思ったし、いまもどこかの高校で澄ました美術教師ヅラで教壇に立っている彼を連想すると「日本の美術は大丈夫か」と思ったりもするのだが、まあそれはともかく……。

「たとえばコイツから1万円を巻き上げてやろうと思ったとする」と彼が言った。
「高校生で1万円も持ってるというのか?」
「だからさ、そういうボンボンしか狙わないのよ」
「……なるほど」

……とここまで書いてきてふと疑問に思ったりするのだが、いまどきの10代や20代に「カツアゲ」と言ったところで、ちゃんと意味が通じるだろうか。「なにそれ?……おいしそう」なんてあどけない笑顔を向けられて「話のつづきをする気もせん」なんてことになるのではないだろうか。「カツアゲ」の「カツ」は恫喝(どうかつ)の「カツ」である。恫喝してカネを巻き上げるので、「喝上げ」なのだ。

……で、「1万円を巻き上げてやろう」と思ったときは「3万円出せ」と脅すらしい。その子がそんな大金を持っていようがいまいが、お構いなしだ。3万円と聞いて青くなっている相手を悠々と眺めつつ、傍らにツバをベッと吐き、追い打ちをかけるように「Aも3万円出した。Bは次の日まで待ってやったが、ちゃんと3万円出した」と言う。むろん嘘である。

具体的な同学年の名前が出てきてさらに青くなっている相手をシメシメと眺めつつ、「しかしまあ、今日のところは1万円でいっか」と言いながら周囲を見回す。するとそのあたりを右往左往して周囲を見張っている不良は一様にうなづく。3万円だの同級生だのを聞かされてすっかりおびえきっている下級生は、「1万円なら」と喜んで出す。……とこういうシナリオである。最後に「このことは誰にも言うなよ。言ったら……わかってるよな。お前は頭のいい子だ。俺たちは尊敬してる」とダメ押しをし、ほんの少しその子を褒めて、放してやる。

まあ悪知恵というか芸達者というか、「そこまで仕組んでやるのか」と驚きあきれる思いだが、このシナリオで責めるとじつに容易に1万円を巻き上げることができるらしい。
思わず「地獄に堕ちろ」と毒づきたくなるが、別の寮生から聞いた話では「カツアゲで貯めたカネでさ、あいつは貧乏な家の子が昼飯ヌキだと聞いてパンを買ってやってたらしい」と。どこまで信じていいのかわからん話だが、当時は「もしそれが本当なら」と、多少は見直した気分になったものである。これもまた(事前に用意された)シナリオのうちかもしれないが。

……ともあれ、琵琶湖畔で恐喝男と出くわしたとき、わたしはすでにこのカツアゲ・テクニックを知っていた。人生、なにが役に立つかわからんものである。

…………………………

「そのウィスキーを少し分けてもらえますか?」と私は言った。男は一瞬、なんのことか理解できないようだったが、「ああ」と腕を伸ばして無造作にダルマの首をつかんだ。私はダルマを受け取り、空になった自分のグラスに2センチほど入れた。じつは手にした時のダルマの重みで、ウィスキーの残量を知っておきたかった。まだ三分の一ほどは残っている感じだった。

「どの程度強いのかわからんが……」と思いつつ彼を見た。「まあつぶれるのは時間の問題だろう」
私は彼のおちょこにダルマをついだ。なみなみとつぐと魂胆がバレるかもしれない。半分ほど慎重につぎ、自分の手の届くところにダルマを置いた。お次は話題だ。彼が思わず注目するような話題でなければならない。

「大学の専攻はグラフィックデザインなんですけどね」と私は言った。
「ふん」と彼は軽くせせら笑った。「それがどうした?」
「デザインの勉強をするために、名刺のデザインを参考にしたりするわけです」
彼は黙っていた。「そんな話など聞きたくもない」とでも言うかと思っていたが、存外、おとなしく聞いていた。あるいはもうウィスキーにどっぷりと浸っており、頭の歯車が回転していないのかもしれない。

……………………………………    【 つづく 】

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