【 生物学魔談 】魔のウィルス(9)

【 発言撤回 】

前回の「魔のウィルス 8」を読んだ友人(大阪在住のフリーライター)が「少し前のことだが」と前置きした後で、「安倍首相がデマゴーグという言葉を衆議院議員に投げつけたことがある」という話をしてくれた。2014年1月31日。衆議院予算委員会でのことである。長妻議員の質問に対し、安倍首相はやや語気を荒げた。
「まったく言っていないことを言ったかのごとくいうのはこれはデマゴーグなんですよ。あり得ないことをあり得るかのごとくいうのはデマゴーグというんですよ」

首相は「デマ」は略語で正しくは「デマゴーグ」だと思っていたのだろう。「デマ」と言っておけばよいものをわざわざ「デマゴーグ」を持ち出した結果、話はややこしく(笑)なった。反論は質問内容ではなく人物批判となってしまった。「長妻議員はデマゴーグ(煽動的民衆指導者)だ」と発言したことになった。この予算委員会の後で長妻議員が撤回を求めたのも当然といえる。
些細なことのようだが、政治家は公の立場で発言する時には言葉の端々にまで神経を使ってもらいたいものだと思う。実際は「言葉に神経を使う」どころか酔った勢いの暴言としか思えないような言葉を乱発し、「よくこれでこの人は大臣が務まるな」と思ような財務相もいる。

しかしまた映画「レッドオクトーバーを追え!」(1990年アメリカ)に登場の大統領補佐官はジャック・ライアン(主人公)に向かって公然と言い放つ。
「私は政治家だ。だから嘘もつくし、人もだます」
特に「キメ台詞」というわけでもないただのワンシーンなのだが、私はちょっとした衝撃を受けた。ホワイトハウスに出入りしているアメリカ政府高官の揺るぎない政治理念というか、(それが正しいかどうかはさておき)そういうものを垣間みたように感じた。

【 ペストと絵画 】

「ペストにとっては人間の地位とか身分とか、なんの関係もない」とフィレンツェ在住の友人画家が言った。「……中世におけるペスト関連の絵というのは、ちょっとおかしいぐらいに貴族とか教皇とか、そういうのがおそれおののいていたり、悪魔に囁かれたり、拉致されたり、殺されたり、そういうのが多い」
「屈折してるねぇ。庶民から見た〈権力崩壊の痛快さ〉みたいなものかな?」
「かなりあるね。ペストは目に見えない。当時はウィルスという知識も概念もない。これはもう悪魔とか死神とか、そういうのが大挙してうわっと押し寄せて来て、目に入る人間を片っ端から殺していく。そういうイメージ」
「うーん。逃げ惑う人々。嬉々として追いかける骸骨死神。そんな感じだね。これは怖いね。しかしそういう絵画を制作する動機というのはどうなんだろう。そうした暗黒時代を記録しておきたい一心?」
「そこだね。結局、地位も宗教もなんのガードにもなってくれなかった、ということに当時の人々は気がつく。武力も財産もなんの役にも立たない。そうした混沌恐怖から従来の絵画にはなかった屈折絵画がどんどん出て来る。中世の絵画史というのはそれが面白いね。当時の画家としては、もうこの社会状況を描かないではおれないというか、あらゆる他のモチーフを超越したインパクトだよね。ある意味、デマをそのまま絵画にしたような時代」
「いままで信じてきたものが一気に崩壊する恐怖というか、きっとそんな感じなんだろうねぇ。デマも山ほど出てきたのだろうな」
「だろうね。しかし今の時代の方がデマは怖い。なにしろ波及速度がハンパない。地球の反対側で発生したデマが数秒後にこっちに届く。そんな時代はかつてない。今はデマという悪魔が文明の利器とやらで、超高速で拡散する時代だね」

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【 コウモリ女 】

「……そう言えば、限りなくデマに近いグレーな話だが」と前置きして友人画家が言った。「コウモリ女の話は知ってるか?」
「コウモリ女!(笑)……バットマンの愛人みたいな話だな」
「残念ながらこの話にバットマンは出てこない」
「だろうね」
「例の、武漢にあるウイルス研究所の話だよ」

その話なら聞いたことがある。「魔のウィルス 1」でも出てくる話だが、3月10日の夕刊フジ第一面は「武漢の生物兵器研究所から流失?」だった。トランプ大統領がこの話をそのまま信じたとは思えないが、ポンペオ国務長官を背後に従え、怒りに燃えた目で拳を振りまわしながら「中国ウィルスの発生源は武漢ウイルス研究所だ!」と繰り返していた。「証拠がある」「中国のミスだ」「隠蔽した」などなど激しい言葉が次々に飛び出す割には具体的な内容が希薄な演説だなぁと思いながらテレビ画面を見ていた記憶がある。まさにデマゴーグ。

「その研究所にコウモリ女がいると言うのか?」
「研究主任だよ。ずっとSARSとコウモリの関係を研究してきたらしい。研究所ではコウモリ女と呼ばれてる」
「なるほど。……それにしてもなんでコウモリなんだ?」
「そこなんだよなぁ。その点がよくわからん。これまた色んな説やウワサやデマが右往左往している世界でね」
「ふうん。……そういえば、映画〈アウトブレイク〉のキャッチも〈人類絶滅の危機は、1匹のサルから始まった〉だったな」
「今回のパンデミックも〈それは1匹のコウモリから始まった〉なんてことにならなきゃいいんだけどね」
「その鍵を握っているのがコウモリ女だと?」

その研究主任が行方不明だという。「中国ではよくある話」らしいのだが、お隣の大国とはいえ、どうもよくわからない話だ。

「たくさんの研究資料を持って亡命した、というウワサがある」
「どこへ?」
「逃げこんだのはフランス。行った先はアメリカ大使館」
「なんでフランスなんだ?」
「彼女はフランスのモンペリエ大学で博士号をとってる。当然、フランス語がペラペラ」
「詳しいね」
「こっちの画家仲間で中国人がいる。怒り爆発で〈裏切者〉という言葉が中国ネットで飛び回ってる」

……………………………………    【 つづく 】

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