【 Sono giapponese 】
フィレンツェ在住の友人画家は「ステイ・ホーム」の過ごし方、その創意工夫に余念がない。
「やりたいことが次々に出てきた!」
じつに楽しそうだ。世の中には色んな人間がいるものだと改めて感心する。異国でのパンデミック遭遇。日本以上に厳しい戒厳令生活。外出すればすれ違う人々からは「中国人め!」という白い目で見られる。さぞかし気の滅入る不自由さだろうと案じていたら、あっという間に慣れたらしく、「気が滅入る」どころか嬉々として新しい生活様式を試し始めた。白いTシャツの胸にマジックインキ(日本製)で黒々と「Sono giapponese」(私は日本人)と書いたそうだ。それを着て買い物に行くという。
そう言えば以前、京都駅前でアメリカ人旅行団体さん(金髪のガイドさんは小型の星条旗を持って歩いていた)のTシャツ文字を見て笑ったことがある。黒々とした毛筆体で「外人」「毛唐」にも笑ったが、一番笑ったのはデラックスさんに似た女性の胸の文字だった。「肥満」!
…………………………………………………**
「最近、座禅を始めてね。広めようと思ってる」
2メートル間隔のパーソナル・ディスタンスで「ただ座るだけ」を教えたらいいのだから、楽だという。これには笑った。「ただ座る」はそのとおりだと思うが。
「すぐに女に目が行くイタリア男に座禅を教えたい」
近い将来にイタリア人に座禅を教える場をつくるつもりらしい。冗談かと思っていたら、どうも本気らしい。
販売用のイコン制作も順調のようだ。ドイツ人の画家仲間と連携し、クリスマスシーズンにドイツで小品を売りまくる腹らしい。まあ商魂たくましいと言うかあきれる。
「なにしろCOVID19でずいぶん死んでる。こんな時は棺桶屋と画家が大いに儲かる」
思わず眉をひそめるというか、本気で言ってるのかと疑うような言葉がポンポンと出て来る。私が知る以前の彼ーー11年前、彼はイタリア旅行中にイタリア女と恋に落ち、フィレンツェで同棲生活となったのだがーーそれ以前の彼とは違う、別人のようにさえ感じる。
…………………………………………………**
異国で長期間暮らしている友人知人は、明らかにその言動に「以前の彼(彼女)にはなかったなにか/日本人にはないなにか」が追加されたように感じる。やはり言葉がどうこうというよりも、生活様式の違い、価値観の違い、そういうのが大きいのだろう。日本人の価値観をひきずって海外で暮らすことはできない。その国の価値観に切り替えて暮らさないと大変なことになってしまう。
たとえばその違いは、人と会って挨拶する段階から現れる。日本では「こんにちは」で済む。しかしヨーロッパの多くの国ではそうはいかない。「こんにちは。レオナルドさん」という具合に、必ず相手の名前を呼ばなければならない。多くの日本人は「なんで?」と思うだろう。「こんにちは。風木さん」と言えばおそらく彼は一瞬奇妙なものを感じ、次の瞬間に「まあこの人は変人だから」ということであたかもジョークのように「こんにちは。北野さん」と返してくるだろう。すぐ脇に立っていた高橋さんは「なんだこのふたりは」と奇異に感じることだろう。
なぜ挨拶にいちいち相手の名前を呼ぶのか。よくわからない。たぶん「名前というものをすごく大切にする」、また「個と個の付き合いを尊重し言葉にする」……まあこのあたりではないかと思っている。
………………………………
さてドイツでイコンを売る話。
「なんでイタリアで売らずドイツに持っていくんだ」
「わからん。わからんがドイツ人が言うには〈イタリアのヤツらはケチで絵をなかなか買わない。ドイツ人の方が買う〉と。そういうことらしい。数人のドイツ人がそう言ってる」
「国境をまたいだ商魂」とでも言おうか。「こっちの国でだめならあっちの国で」といった感覚も「さすがはヨーロッパ」というか、ちょっとうらやましい。日本ではなかなかこうはいかない。日本海をはさんで対峙している国々は、遠い昔は知らず、現在ではかなり距離感を感じる国々になってしまっている。
「宗教が、画家に味方してくれる」と友人は言う。
COVID19で痛めつけられたヨーロッパの国々、その民衆が心の支えとして頼みにしているのはまさに宗教であり、それは100年前も今も変わらないというのだ。
「こっちでは民衆が求めているものがわかりやすい」
「だからイコンが売れると」
「そのとおり。日本じゃそうはいかんだろ。日本人には日常的な宗教がない」
「そんなことはない。宗教はちゃんとある」
「しかしお釈迦さんの誕生日に仏の絵が売れるか?」
「それはないね、確かに」
「そもそもお釈迦さんの誕生日って、いつだ?」
「4月8日だね。日本では灌仏会(かんぶつえ)と言ってる」
「ふーん。日本人の何%が灌仏会を知ってる?」
「さあね。そんな統計は聞いたことがない」
「でもクリスマスは知ってるだろ?」
イコン制作は友人の作風に大きな変化を与えている。動機がどうであれ、「いま画家が果たすべき役割はこうだ」という信念に基づいている。前述した「100号のコウモリ女」はどこへやら。大作はいったん中断。「まずは売れ筋。そこでイコン」ということらしい。
…………………………………… 【 つづく 】
…………………………………………………**
魔談が電子書籍に!……著者自身のチョイスによる4エピソードに加筆修正した完全版。amazonで独占販売中。
専用端末の他、パソコンやスマホでもお読みいただけます。