【 生物学魔談 】魔のウィルス(14)

【 I can’t breathe 】

フィレンツェ在住の友人が親しくつきあっている画家仲間に「ニック」と呼ばれている黒人がいる。31歳。アメリカ国籍の大男だが、気性はやさしくまじめで、小さい時からレオナルド・ダ・ヴィンチの精緻なデッサンにあこがれた。そして建築や人物のデッサンを学ぶために自費でイタリアに来た。2年程で帰国するつもりが、フィレンツェに来て10ヶ月ほどで「COVID19」騒ぎに巻き込まれてしまった。「当分は帰国できそうもない」と思っていた矢先、例の「アイ・キャント・ブリーズ」映像を見てしまった。

私も何度かその映像はテレビ報道で見たが、まあ3秒とかその程度だ。彼はスマホで9分に近いその映像を全部見た。「アイ・キャント・ブリーズ」シーンでは両手で顔をおおって涙を流し、その直後に発せられた「ママ、ママ!」では両手をあげて号泣した。そして怒りで固く握りしめた右手を上げて周囲の画家仲間に言った。
「このデモを見ろ! いまこそ全米で起こっているデモに参加して、最悪のアメリカを変えねばならない。オレはデモに参加するためにアメリカに帰る!」

こういうところが「アメリカ人であり黒人だなぁ」と思う。行動が熱い。「デモに参加するために祖国に帰る」など、日本人の口からはなかなか出て来ないセリフだ。
普段からニックは怒りに燃えた目で周囲の友人たちに、こうこぼしていたそうだ。
「知ってるか。アメリカじゃな、COVID19で黒人は白人の2倍が死んでる。白人は黒人の命なんざどうでもいいんだ。COVID19で黒人なんざ全滅したらいいと思ってるヤツラもいる!」

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「また警官が黒人を殺したという事件だけじゃ、これほどの騒ぎにはならんと思う」とフィレンツェ在住の友人が言った。
「COVID19が間接的に影響してる?」
「まちがいないね。ウィルスで信じがたい数の人間がバタバタ死んだ後というのは、単に〈ウィルスが終息した〉とか、そういう簡単なことじゃすまない。ペストの後も、スペイン風邪の後も、社会が大きく変わった。〈2020年は世界中で大きな変革が発生した年〉と後世の歴史学者は言うんじゃないかな」

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【 BB 】

「……ところで、こっちの画家仲間にフランス女がいてね。なかなかの美人で、ブリジット・バルドーと似てる」
「ブリジット・バルドー!……こりゃまた古い女優だな。〈フランスのマリリン・モンロー〉とか絶賛された女優だろ?」
「まだ生きてる」
「ふーん。100歳ぐらいか」
「まさか。80を越えたあたりだよ。……で、なにしろそのフランス女は若い頃のブリジット・バルドーと似てるんで、周囲の男からBBと呼ばれて熱い視線を浴びてる。しかしじつは男嫌いで恋人はイタリア女らしい。……で、それはまあどうでもいいんだけど、このあいだ5人で飲んで、その中にBBもいた。ノストラダムスの話が出た。BBはノストラダムスの信奉者らしい」
「ノストラダムス!……これもまた古い話だな。ノストラダムスはフランス人だっけ?」
「そうだ。日本じゃバラエティー番組とかで〈こんなことを予言してた〉とか紹介して、ゲストが驚いたフリしてそれで終りだけど、フランスじゃまじめな研究者がちゃんといる」

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ノストラダムス。日本では「謎めいた詩を残した予言者」といったイメージだ。しかし実際はヨーロッパにペストが蔓延し多数の死者が出た暗黒時代に医師として奔走した人物としてフランス人には尊敬されている。その詩篇(第2巻・No.53)に以下のような詩があるという。

海辺の都市の疫病は、
死が復讐されることでしか止まらない。
罪なくして咎められた公正な血を代償に、
偉大な婦人は偽りによって辱められる。

「例によって謎めいた詩だな。この海辺の都市が武漢だと?」
「BBはそう信じてる」
「ふーん。偉大な婦人は?」
「目下研究中ということらしい。BBはノストラダムスの絵を数点描いてる。今度はノストラダムスとコウモリ女を描くと言ってる。この〈偉大な婦人〉もコウモリ女のことだと思ってる。ところがその酒の席にいた中国人は〈それは違う。あの女は裏切り者だ!〉とか言い出したので、えらい険悪なムードになったよ」
「国際色豊かな席だな。タモリの四カ国語麻雀みたいだな」
「四カ国語麻雀?……なんだそれは?」
「まあ、いいさ。BBはノストラダムスを主題にして絵を描く画家なのか?」
「いろいろ描いてる。娼婦とかも描いてる。……が、今回のパンデミックで久々にノストラダムスを描く気分になったらしい」
「コウモリ女つきで?」
「ああ、コウモリ女でオレとバッティングしちゃったんで、ちょっと困ってる」
「困ることないだろ?……しばらくは売れ筋の販売用イコンに集中するんだろ?」
「まあそうだが……その〈売れ筋の販売用イコン〉という言葉にトゲを感じる」
「トゲなんかないさ。事実だ」

……………………………………    【 つづく 】

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