【 魔のウィルス 】23

【 喜ばしい廃棄 】

パレルモのカタコンブから戻ってきたBBはずいぶん元気になったらしい。

「ふっきれた、みたいなことを言ってたね」
「ふっきれた?……なにから?」
「うーん、本人は多くは語らないけど、生の執着、制作上の葛藤、なんかそういう諸々の悩みからふっきれたんじゃないかな。うまく説明できないけどね、オレにはなんとなくわかる。ミイラのデッサンもずいぶんしてきたらしい」
「ミイラのデッサン!……さすがだな。確かにそれは日本じゃちょっとできないな」

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「クリムトの〈黄金の騎士〉って作品があるだろ?」
「うん。〈黄金の騎士〉ね。日本にも来たよ。全身が金色の西洋甲冑だろ?……RPGの世界じゃプレートアーマーとか呼んでるね」
「そう、それ。クリムトの作品は全身が黄金で豪華絢爛で、颯爽と馬にまたがったりしてるんだけど、そうじゃなくて、ただの鉄だったりとか、錆びちゃったりとか、留め金の一部がはずれたりとか、そういうガタガタのプレートアーマーがずらっと並んだ暗い絵がある。廃墟のようなところに並んでいて、立ったり座ったりしてるんだけどね、中に人間が入っているのかどうかわからない。なんとなくだけど、もはや入ってなくて、廃棄されてる雰囲気というか、そんな感じ。BBの制作中の作品なんだけどね。カタコンブを見たことがある人の目から見ると、〈ははあ、これはカタコンブだな〉となんとなく連想するような絵だよ」
「ふーん。廃棄処分のプレートアーマーがカタコンブのミイラに見えると?」
「そういうこと。カタコンブのミイラというのも、結局は魂が抜け出てしまった後のガラクタを陳列したみたいなものだな」
「すごいことを言うね。そういう発想はイタリアでは普通なのか?」
「普通かどうかは知らん。ただBBが描いてる制作中の作品を見たときにその話をしたら、〈まあ、そうね〉みたいな感じで、サラッと流されちゃったけどね、肯定も否定もしなかったけどね。彼女は自分の作品をあれこれ分析されるのが嫌なんだな」

その作品は横2mほどの大作でまだまだ完成は先らしいのだが、「喜ばしい廃棄」という副題が検討されているという。

「喜ばしい!……百戦錬磨のすえの廃棄処分、てな感じか?」
「まあ、それもあるかもしれんが、もうひとつの意味は〈魂がついに抜けでた〉という喜ばしい結末というか、そんなんじゃないかな」
「つまり〈死〉だな。死は魂が肉体から解放されたから喜ばしいと?」
「そうだね。その考えは日本よりこっちにはずっと浸透してるね。そんな気がする。死ぬことで、魂は肉体というガタガタのアーマーからやっと解放される。そりゃもう気分いいだろうね。金属の匂いやら汗の匂いやら、そういうのが染みこんで、色々ガタが来て、もうどうにも使いものにならんアーマーをガシャガシャと脱ぎ捨ててさ、素っ裸でスイーッと空を飛ぶようなキューピッドになった気分、とでも言うのかな。そりゃもう最高だろうな」
「ちょっとアブナイ発想だな。そんなイメージの延長線上に〈もう現世はいやだ。早く死んで楽になりたい〉という願望が生まれてくるんじゃないのか?」
「そこで宗教の登場なんだな。まちがった考えであっさりと死んでしまうと、最後の審判で地獄に落とされる」
「なるほどねぇ。やれやれだね。それで嫌というほど地獄の絵を見せられるわけだ」
「嫌とは思わないね。オレは何百枚でも見たい」
「やれやれ。日本に帰って来なくていいよ。ずっとそっちでそういうのを楽しんでたらいい」

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【 パリとパレルモの違い 】

「日本はねぇ、死体とかそういうのは見せないし、ましてミイラの陳列なんてありえん。死んだら速やかに焼いて、灰にして、ツボに入れて、墓石の下に収納する。あるいはお寺に納める。普段の日常生活からは完全に〈死〉を切り離す。しかしそれでは御先祖様にちょっと申し訳ないから、何周忌とかお盆とかにイベントをする。しかしイベントなんだよな」
「それは時代により、国により、民族により違う。日本だけが特異なわけじゃない。都市部と地方の風習によっても違う。ただ西欧には〈死〉だの〈地獄〉だの、そういうのを見せようとする場が多い。そういうことだろ?」
「そうだね。その点で中世の疫病が残した影響はすごく大きい。こっちはもう本当に、あらかた死ぬんじゃないかというほどに痛めつけられたからね。周りがバタバタ死んでいく中で、画家は〈この地獄を描かんでどうする〉とか思うわけよ。教会は埋葬が追いつかなくて、ただもう死体を布でグルグル巻きにして地下室にどんどん押し込めてしまうわけよ。〈なんとかしてこの最悪時代の状況を後世に残したい〉という願いも出てくる。芸術も宗教もその方法に動き始める。そういう痕跡がこっちにはいっぱいあるし、見ようと思えばいつでも見れる」

カタコンブもまたその痕跡のひとつという解釈で、BBは制作しているらしい。しかし彼女によれば、同じカタコンブでも「カタコンブ・ド・パリ」と「パレルモのカタコンブ」では全然扱いが違う。

「そりゃそうだろうね。どうしてもそうなるよ。パリとパレルモじゃ、そこを訪れる観光者の数が全然違う」
「フランス人とイタリア人の考え方の違いも出てるらしい。彼女はそう言ってる」
「パリの方は観光名所にしちゃったことをよく思ってないとか」
「詳しくは聞いてないし、あまり言いたくないようだけどね、パリの方はね、陳列の仕方がちょっと、ということらしい」
「ははあ、陳列というか、人骨を壁面装飾のパーツみたいにしちゃってるからね」

……………………………………    【 つづく 】

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