【 魔のウィルス 】24

今回は少年時代の回想談を語りたい。……というのも、話が「ミイラ」に及んだことから、ふと思い出した「少年時代の1シーン」があるのだ。7歳の夏休みに起こった出来事であり、今の季節に語るにじつにふさわしいエピソードのように思う。そこでそのシーンにまつわるミイラ談を、ひとつじっくりと書いてみたいという意欲となった。数回にまたがる脱線魔談になってしまいそうだが、どうかおつきあい願いたい。

【 1 】

小学校2年生、7歳の時の話である。
夏休みと言えば、これはもう麦わら帽子、捕虫網、虫籠という三点セットで毎日のように出かけたものだった。自宅を出て10分ほど住宅街を駆け抜け(家の近所は一気に駆け抜けたい気分だった)、その後は工場の塀の脇や畑の脇を、15分ほどのんびりと歩いた。すると線路があり畑があり、雑草が好き放題に生い茂った原っぱがあった。

周囲の樹木ではセミが盛大に鳴いていた。しかし私のお目当てはバッタとチョウで、セミには目もくれなかった。これには理由があった。セミは捕まえた後もうるさいし、虫籠の中でジタバタと騒ぐので全く始末に負えないというか、その「往生際の悪さ」が子供心にもカンにさわる虫だったのだ。

ところがそのうちにバッタも捕まえなくなった。これにもはっきりした理由があった。特にイナゴがそうなのだが、せっかく捕まえたチョウを虫籠の中で踏みつけた。中には(いったいどういう経過でそのような事態になってしまったのかさっぱりわからなかったが)シジミチョウをバラバラにしてその一部を食ってしまった(戦慄すべき)イナゴもいた。

結局、セミもバッタもつかまえる意欲をなくしてしまった。私が狙うのはチョウだけになった。しかしチョウは、セミよりもバッタよりも捕獲が難しかった。チョウの行く末に目を奪われて足を滑らせ、何度も草原で転んだり沢に落ちたりした。自分の身長よりも高い雑草の中を一気に駆け抜けて、腕や顔面に無数の細かい切り傷を負ったこともあった。そんなことは日常茶飯事で、「ホンマにアンタは……」と呆れた母親が(帰宅した私の姿を見て)言葉を失ってしまうことにも慣れてしまった。そんなことよりも、自宅に戻った私は虫籠の中のチョウ、膨大な時間と膨大な労力を惜しげもなく使って捕まえた10匹ほどのチョウを、一刻も早く部屋の中に放ちたかった。

そう、その頃の私の最大の悦楽は、自分の部屋で虫籠を開けチョウを一斉に放つことだった。シジミチョウ、モンシロチョウ、モンキチョウ、ときにはアゲハチョウが私の部屋を舞うこともあった。私はうっとりとその飛翔を眺めた。部屋のどこかにとまったら息を止めるようにして近づき、飽きることなく羽の色彩や鱗粉や複雑な紋様に見入ったものだ。しかしそれ以上のつきあいを彼らに強要しようとは思わなかった。大抵は一夜を部屋で共に過ごし、翌朝になったら窓を開けて、彼らを一斉に解放した。二日も三日も部屋に閉じ込めてしまうと、彼らはあっけなく死んでしまうことは知っていたし、死んだ彼らを見るのは嫌だった。窓を開けたそのせつな、彼らが朝の風に乗ってあっという間に視界から消えてしまう瞬間も好きだった。

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【 2 】

衝撃的な出来事はある日突然に、なんの前触れもなく起った。捕虫網もなく手ぶらで道を歩いていたらクロアゲハが目の前をスイッと横ぎったような、そんな起り方だった。
見慣れない黒い自動車が砂ぼこりを立てるようにして視界の端に現れ、畑の向こうでゆっくりと停止した。助手席から転がり出るようにして降りてきた少年は、手慣れた仕草ですばやく捕虫網を組み立てた。その純白の網は、かつて私が見たどのような捕虫網よりも大きかった。少年が捕虫網を左右にそよがせると、まるで白い幽霊が少年の前をふわふわと舞っているように見えた。

私は近所の金物屋さんで買ってもらった捕虫網を両手で構えたまま、じっと立って少年の捕虫網を見ていた。私よりも少し年上のように見えたが、背の低い、知らない少年だった。少年が捕虫網をそよがせているあいだ、父親らしき男が運転席から出てきた。男はサングラスを少し押し上げて額のあたりで止め、ボンネットに軽くもたれるようにして煙草を吸っていた。黒い車、サングラス男の煙草、少年の大きな捕虫網、それらは総じて「お金持ちの子」というイメージを私に抱かせた。「うらやましい」とは思わなかったが、「自分とは違う世界で呼吸している子」のように感じて、私はただ呆然とその少年の捕虫網を見つづけた。

少年は意外なほど早くその場を切り上げた。彼の目から見て「ここには大した獲物はいない」と判断したのかもしれない。白い幽霊が踊っているような数回の往復運動で、少年の捕虫網には数匹のシジミチョウが入っているように見えた。ところが手慣れた仕草で網をひっくり返すと、少年はそこに入っていたシジミチョウを全部逃がした。私には考えられない行動だった。少年は父親らしき男になにかを告げ、腰に下げていた三角形の金属ケースのフタを開け、その中をチラッと確かめた。すばやく捕虫網を分解し、助手席に乗り込んだ。車はするすると動き始め、あっという間に視界から消え去った。少年がそこにいたのは15分程度だった。

……………………………………    【 つづく 】

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