【 台湾魔談 】(3)

【 羽田空港 】

何度もあくびをかみ殺しながら羽田空港に着いた。
まるで閉鎖された空港のように閑散として人がいない。ロビーを横切って国際線行き専用バスのターミナルに行った。始発がすでに停車していた。乗りこんでみると、乗客は私を含めて3人。私以外のふたりはアラサーカップルで、会話から中国人だとすぐにわかった。

台湾に帰るのだろうか。ふたりは北京語であれこれ話をしているのだが、声の勢いというか迫力というか、そういうものが圧倒的に女性の方が優っている。しかも彼女はなにかで少々腹を立てているらしい。しきりに彼に向かってあれこれ言うのだが、彼はほとんど返事をしない。たまにボソッとなにかいうのだが、いかにもおっくうそうな声だ。

私は少し離れた座席に座り、目を閉じて彼女の声を聞いた。内容がさっぱりわからない異国語を、傍でじっと耳を澄ませて聞いている状況。これは意外に面白い。鳥のさえずりを聞いているようなものだが、さえずりよりも遥かに内容が複雑なので、あれこれと想像するのが面白い。どんなことを話しているのだろう、なにを責めているのだろう。なぜかしきりに「メイヨー!」という言葉が繰り返し彼女から発せられている。どうも否定的なニュアンスだ。たぶん「ちがうよ!」とか「そうじゃなくて!」とか、そういう意味なんだろう。

10分ほどで国際線ターミナルについた。ターミナルにも乗客はほとんどいない。なんだか小さな国のパッとしない田舎空港みたいだ。がらんとしたカウンターでチケットを受け取った。店はまだどこも閉まっていたが、しばらくしてガラガラーッとシャッターが開いた。

サンドイッチとコーヒーで朝食。サンドイッチはまるで数日が経過したような味で、一口食べておもわずしげしげと見つめた。しかし熱いコーヒーはうまかった。2杯目をもらった。体が温かい水分を欲していたのかもしれない。

7時50分、離陸。快晴。富士山の火口がはっきりと見えた。
10時58分、中正空港(台北空港)に着陸。少し眠ったらあっというまに着陸した感じだった。

【 中正空港 】

出発した羽田空港に比べ、降り立った中正空港は上を下への大騒ぎだった。ターミナルは各国からやってきた報道陣であふれていた。男性と女性の声がダブっている北京語のアナウンスは必要以上の音量でやたらにやかましく、特に女性の声がキンキンして耳ざわりだった。英語やドイツ語やフランス語や私の知らない言語が周囲の人々のあいだで声高に飛び交っていた。

テレビカメラを肩にかついだ白人の大男が、傍若無人にそこらじゅうの人々にバシバシとぶつかりながら走っていった。片手にマイクを持ったキャスターらしき金髪女性がなにかのコードに足をひっかけたらしく、ずいぶんハデな転倒をして悲鳴をあげた。駆けつけたスタッフの野球帽男は、彼女よりもまずマイクを手にとって無事を確かめていた。

唖然として周囲の状況を眺めた。珍しい状況なのでもっと見物していたかったが、そんなことをしている余裕はない。人ゴミをかきわけるようにして、台北行きのバス乗り場をさがした。その途中で「マネーチェンジ」の看板を見つけた。自分用に4万円、友人AKに17万円。合計21万円を換金。

17万円を換金するまでに「こんな時は20万円ぐらいサッと回せるぐらいの男でありたいものだな」と何度も思った。しかし私の財政状況は17万円が限界だった。とはいえ、日本の円を台湾に持っていけば、3倍から4倍の価値がある。ということは、現地ではざっと50万円から60万円の価値がある。それを確実に友人にわたしたい。自分の足で持っていくほど確実な方法はない。

……………………………

【 渋 滞 】

思わず「……やはり」と、うめいた。
台北行きのバス乗り場はものすごい混雑だった。延々と列をなして並んでいる。一時間は並ぶことになりそうだ。いったん引き返し、売店でリエンウー3個と台湾ビールを買って並んだ。

リエンウーというのは台湾の「街頭果物売り屋さん」でよく見かけるポピュラーな果物である。すごく安い。日本円で100円も出せば4個ほど買える。形状は「台湾版姫リンゴ」とでも言おうか。手のひらにすっぽりと収まってしまうような大きさの赤くかわいらしい果物である。手にしてみると、ピーマンのようにふわふわと軽い。本当にちゃんと中身が入っているのかと疑うほどだ。しかしもちろんちゃんと中身は入っている。両手の親指に軽く力を入れてパキッとふたつに割ると、筋のいっぱい入った白い果肉から透明の果汁がパッとほとばしり出る。かじってみると、味は極めて淡泊だ。サクサクッとした歯触りで上品な甘味がある。ちょっと物足りないぐらいのあっさりした味だが、不思議に飽きない。

列の最後尾に並んだ。リエンウーをかじり、台湾ビールを飲んだ。2個のリエンウーをおいしく平らげ、さて、という感じで3個めにかかろうかというときだった。目の前に立っている太ったオジサンの向こうから、5歳ぐらいの少女が私を見ていることに気がついた。私は口の前にリエンウーを持ち上げたまま彼女を見た。彼女はずっとぼくを凝視したままだ。試しに右手に持ったリエンウーを左手で指さしてみた。ちょっと笑ってみせると、彼女も笑顔でうなづいた。かわいらしい笑顔だった。リエンウーを差し出すと、彼女はちゅうちょすることなくそれを受け取った。

40分ほど並んでバスに乗った。出発して20分ほどは順調だった。もう20分ほどで台北市の中心にある台北駅に着くはずだった。ところが台北市街に入る手前でバスは大渋滞に巻きこまれた。まったく動かない。1メートルも動かない。

運転手は客席の方をふりかえってニヤリと笑い、早口でなにかしゃべった。客席からドッと笑い声が起こった。私にはまったくわからないから笑えない。ものすごく損をした気分だ。運転手の表情、大声で笑ったオバサマたち、「いやあねえ」といったその場の雰囲気、きっと運転手が言ったジョークはすごく淫猥なものだったにちがいない。じつにくやしい。

停車してざっと半時間。ついに運転手はドアを開けた。客席に向かって大声でなにか説明した。驚いたことに、ものすごいボリュームで台湾版演歌みたいな曲を車内スピーカーで流し始めた。なにごとならんと見ていると、半分ぐらいの乗客がドヤドヤと降り始めた。
「こらあかん。しばらくは動けへん。急ぐ人はもう降りたほうがええわ。おれも勝手に好きな曲でも聴くさかいにな、みなよろしゅうやってんか」と、このようなところだろうか。大阪弁でなくともいいのだが、運転手は「大阪弁でしゃべらせたらさぞかしぴったりだろう」と思われるような、愛嬌のある小太り男だった。

わけのわからないところで降りるのは不安だったが、どうにも曲が耐えがたい。スピーカーの限界を超えたボリュームで音が完全に割れているのも耐えがたい。私は決意し、ザックを背負って出口に向かった。タラップを降りるときに運転手が私のザックを指さしてなにか言った。返事がほしそうな顔をしているので、「おつかれ様でした」と言った。演歌がうるさいので運転手はよく聞こえなかったらしい。けげんな顔をして耳に手をあてる仕草をした。
「演歌バンザイ!」と大声で言った。なんと運転手は「バンザイ」を知っていた。両手をあげて「バンザイ!」と叫んだ。口の端にむぞうさに加えたタバコがポロッと落ちた。それでも彼はぜんぜん気にしなかった。「バーンザイ、バンザイ!」と叫ぶ声を聞きながら私はバスを降りた。前途の大困難を予感させるような下車だった。

……………………………………    【 つづく 】

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