【 台湾魔談 】(11)

【 屋上 】

「常夏」という言葉、その言葉から喚起されるライフスタイルのイメージ、あなたは憧れますか。明瞭な四季がなく、年中ほぼ夏。年中Tシャツ1枚で過ごせる国。もし可能であれば、ハワイとか常夏の国に移住したいと思いますか。
冷え性などで冬に悩みが尽きない人は、憧れのユートピアかもしれない。あるいは半年ぐらいならそこでのんびりと暮らすのもいいなぁ、なんて思うかもしれない。

台湾は九州ほどの島で一国が成り立っている国だが(などと言うと即座に異論を唱える国もあるが)、台北・台中・台南(じつにわかりやすい都市名である)で気候も植生も大きく異なる。台中以南は常夏に近い。

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蒸し暑い夜だった。「この夜空の下に彼がいる」と思いながら台中のネオンを眺めていた。私は復興大飯店の屋上におり、缶ビール片手に眼下の夜景に見入っていた。

じつは大飯店(ホテル)の部屋に戻って荷物の無事を確認し、床に地図を広げてあちこち視線を走らせたのだが、想像以上に地図は複雑怪奇で目指す地名は発見できなかった。いまさらだがルーペを持って来なかったことを後悔し、「いつも穂高に行くときには必ず持っていく折りたたみ式ルーペをなんで今回は忘れたのか」と茫然とする思いだった。かなり疲労が蓄積しているらしく、イジイジと自分の些細な失態を責めそうな気分になってきたので、シャワーを浴びて寝ることにした。

2時間ほど爆睡してポンと跳ね起きた。目を覚ました瞬間に現実に戻れず銃剣を探していた。私はしばしば目を覚ました瞬間に反射的に銃剣を探す。理由はまったくわからない。前世は兵士だったのかもしれない。あるいは単に戦争映画の見過ぎかもしれない。

銃剣など必要なくここは台湾の空の下のホテルの一室だとわかった時点でやれやれとベッドに座ってしばらく茫然と過ごし、空腹を感じて飯を食いに外に出た。

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台湾の夜は魅力的だ。この国の人は、とにかくそこらじゅうでなんか食ってる。どの方向を見てもなんか食ってる。夜にはさらにその光景が強調される。ずらりと並ぶ屋台、屋台、屋台。しかしどこもほぼ満席だ。
驚いたことに(本当に私は驚いたのだ)これほど数多くの屋台がひしめいていて、程よく空いた屋台は一件もない。「この国の家族は、夕食といえば毎晩屋台に繰り出すのかもしれん」と思うほどに、どの屋台も家族づれで賑わっている。

なんとなく気後れを感じて屋台はあきらめ、セブンイレブンに入った。自動ドアが開いた瞬間に「シャンツァイおでん」の香が鼻の奥をツンと刺激した。「うわっ、台湾!」とのけぞる気分だったが、もはや苦痛ではない。このまま行くと苦痛どころか、日本に戻ってセブンイレブンに入った時には物足りなさを感じてしまうかもしれない。
「なにかツマミでも」と思ったのだが、部屋中に充満しているシャンツァイ香のおかげで、なにを見てもシャンツァイ風味なんじゃないかと思ってしまう。なんとなく気後れを感じて、350cc缶ビールとチョコレートだけを買って店を出た。

「妙なものだな」と思いながら、空腹を感じつつ屋台のネオン街をぶらぶらと歩いた。腹がグーと鳴るほど空腹だったが、夕食を抜くぐらい、私にとっては苦痛でもなんでもない。私の知る限り、山男はみなそうだ。空腹を感じつつ何時間でも山中を歩く。むしろ空腹時の方が身を軽く感じ、登山靴が前に進むような気がするぐらいだ。

「都会人は食べ過ぎ。太るのが当然」というのが私の持論である。まるでガソリンが切れるのを心配するかのように、三度の食事を欠かさない。それどころかなにか事情があって一食でも抜くと、大騒ぎする。しかし人間はガソリン車ではない。「むしろ空腹時の方が頭が回転する。いい仕事ができる」と私は思っている。

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復興大飯店に戻った。
「明日の朝は屋台でおかゆでも食おう」と思いつつホテルの階段を上り、ふと思いついて「屋上に出ることはできるか」とそのまま階段が尽きるまで行ってみた。さびついた金属製のドアに鍵はかかっていなかった。薄暗い廊下なので気がつかなかったが、登山靴(事情が事情なので、今回の渡航では私はティンバーランドの登山靴を履いていた)になにかがコツンと当たった。拾いあげてみると、見たこともない形状の箱型の南京錠だった。ずいぶん長いあいだ転がっていたらしく、どうしようもなく錆びていた。ドアノブを回して軽く押すと「ギギィーッ」という金属音が階段中に響きわたったのでちょっと焦ったが、その後は静かに開いた。

復興大飯店の屋上では、かつてビアガーデンでもやっていたのかもしれない。プラスチックと金属棒でできた椅子があちこちに散乱していた。空調設備がカタカタとくたびれた羽の音を発し、周囲のネオンからは「ジジ、ジジ」という音が発していた。

登山靴の先でなにかがキラッと光った。拾いあげてみると、なんとプラスチック製の注射器だった。先端部分の針が光ったのだ。この街のダークサイドを垣間見た気分だった。投げ捨てる気分にもならず、出入り口の脇にあったゴミ箱に投げ込んだ。「念のため」と思っていつもジャケットの内ポケットに入れているウェットティッシュで何度も指を拭った。

夜風が気持ちよかった。はるか遠くから演歌のような曲が流れてきた。
台湾では至るところで(屋台がひしめく夜市とかで)演歌らしき曲が流れている。しかし演歌ではなく北京語(あるいは台湾語)で歌っている。私は演歌に興味はないのでよくは知らないが、(友人から聞いた話では)台湾では日本統治時代に教育を受けた世代が演歌を愛しているという。テレサ・テン(1953-1995)など「国民的歌い姫」も出て、日本の演歌をガンガン歌った時代もあったらしい。しかも「台湾歌」という名称で。

そこら中のネオンから「ジジ、ジジ」という音がしている。かすかに台湾歌が聞こえ、ザワザワとした人の往来の騒音が下方から響いてくる。映画「ブレードランナー」を連想した。「そうか、あの奇妙な世界はまさに台湾だな」と発見して笑った。

……………………………………    【 つづく 】

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