【 魔の自己愛 】(3)

【 美穂先生 】

雑貨講師をかりに美穂先生としよう。
美穂先生には気の毒だとは思ったが、これは私にしてみればヨソのクラスのことだ。意見を述べることはできても、それ以上の関わりは避けたかった。相談先は私ではなく、学校のスタッフにするべきだろう。

「……それで、僕にどうしろと?」
彼女はチラッと上目づかいに私を見た。
(……しまった。ちょっと冷たい言い方だったか)
そう思った瞬間に、iPadはパタンとフタが閉じられた。ミッフィーが微妙に首をかしげて私を見ている。

「こんな絵柄は不愉快です。他の案を出しなさい。講評会で、そう伝えました」
「なるほど」
「本人はしばらく黙ってたのですけど……あんたにはわからない。レイ先生ならきっとほめてくれる。そう言いました」

しばらくのあいだ、我々は沈黙した。事情を知らない客が少し離れた位置から我々を見たら、別れ話で気まずい雰囲気になっているふたりに見えたかもしれない。
(ヨソのクラスの話)と思って聞いていた話の切先が、いきなり喉元に向けられたような気分だった。私とその雑貨クラスの接点は1回の講義だけだ。それは「ヌードデッサン」だった。美穂先生が「ヌードデッサンを指導する自信がない」と学校に伝えたので、学校から私にその講義の代行を頼まれたのだ。

「念のために言っておきますが」と私は言った。「……その子と私の接点は、ヌードデッサンの講義だけで、それ以上の接点はないですよ」
「それは聞いてます」

アイバーニアの作品を見た直後から、美穂先生は気分が悪くなったらしい。講義時間の残り15分を維持できないと思った。「今日はここまでとします」と生徒に告げてさっさと教室を出た。そのままトイレに駆けこみ、学校には「生理痛がひどくなって」という理由で早退した。

美穂先生の講義日は「月水金」だった。2日後の水曜日、彼女が講義に出るとアイバーニアは欠席だった。4日後の金曜日、アイバーニアは出席していたが、美穂先生とは一言も口をきかなかった。その週はそれで終わった。
次の週の月曜日、美穂先生はアイバーニアと今後どのように接したらいいのかわからなくなった。そして私に声をかけた。

「まず学校に相談するべきでしょう」
「しました」

スタッフは「難しい問題なので、数日間、対応を考えさせてほしい」と返答した。
(まあそうだろうな)と私は思った。即答できるような問題ではない。学校長を含めて数人のスタッフで話し合うのかもしれない。
「まあ、こういう問題は」と私は言った。「……学校に任せておけばいいじゃないですか?」
「私の対応はまちがっていたでしょうか?」
「講評でそのように評価したことが、ですか?」
彼女は黙ってうなずいた。難しい質問だった。またしばらく、我々は沈黙した。

「講師といえど、我々は人間ですからね」
自分でもなにが言いたいのかよくわかっていないような返答だったが、構わず私は続けた。
「……美穂先生にしても、講師である以前に人間であり女性です。なので嫌悪感を感じたのであれば、そのとおりを生徒に伝えたらいいのです。無理に隠す必要はないですよ」

【 Macルーム 】

美穂先生と喫茶店に入った二日後。水曜日。学校の廊下で彼女とすれ違った。軽く笑った。彼女もそうだった。笑顔や仕草にぎこちなさとか、そうしたものは特に感じなかった。
この件で学校から私になにか連絡があるかと思ったが、それもなかった。
(まあ、ほっておこう)
そう思った。

その日の放課後、私はMacルームで1台のMacを調べていた。
学校に設置されたMacは複数の生徒が操作するせいか、時々妙な動きをする。故障なのかどうかさえ判然としないような、妙な動きをすることがある。
その時私が調べていたMacもそうだった。なぜか一瞬、ポインタが画面から消えてしまうのだ。それ以外に特に動作に問題はないのだが、1時間とか2時間とか操作していると、フッと消えてしまう。「あれ?」と驚いた瞬間にパッと出てくる。「まるでMacの中に隠れてる少女がイタズラしてるような」と思うようなMacだった。

「レイ先生」
私を呼ぶ声がした。
私は出入口に背中を向けて座っていたが、振りかえるまでもなく声の主はすぐにわかった。アイバーニアは背が高い。背が高い女の子にはハスキーボイスが多い。加えて彼女の日本語は流暢だが、独特のぎこちなさが言葉のイントネーションやアクセントに微妙に出ていた。
私は問題Macのポインタから目を離したくなかったので、そのままの姿勢で言った。
「アイバーニア、今日はちゃんと授業に出たか?」

つづく

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