【 撤退 】
シーラ・ナ・ギグ。その起源や意味は謎に包まれている。現代的な感覚では「悪趣味」としか言いようがないようなポーズの女性像が、なぜ教会や修道院にあるのか。その奇妙な名前の由来はなにか。全くわかっていない。
個人的な印象としては「古代ケルト人のおおらかな性」とでも言おうか「性にまつわる一種のユーモア表現」とでも言おうか、そのようなものを私は感じており、特に嫌悪感を抱くようなことはなかった。とはいえ、専門学校の「雑貨デザイン」女性講師をドンビキさせ早退させたほどの威力を持つものであることはまちがいない。
それにしてもサルタヒコはどのようなきっかけでシーラ・ナ・ギグを知ったのだろう。この「悪趣味で女性に嫌悪感を抱かせる造形」のどこが気に入ったのだろう。なぜその造形パターンで木像や石像や彫刻作品をこれほど多く制作する意欲になったのだろう。
興味というか疑問というか、そういうものは尽きなかったが、製作者本人がひきこもりで妹以外の人と会おうとしないのでは、どうしようもない。それに正直なところ(……まともな制作とは思えない。深入りは禁物だ)といった警戒感もあった。
「面白いものを見せていただきました」と私は言った。「そろそろ戻らないと……」
御婦人は黙ってうなづいた。微笑してはいたが、特になにも言わなかった。
引き止める言葉がひとつやふたつは出るだろうと思っていたので、私はその様子を見て微妙に後ろめたい気分になった。しかしこの場を去ってしまいたい気分の方が強かった。木戸まで歩く間に彼女と二言三言なにか話したような記憶があるのだが、まったく覚えていない。気もそぞろ状態だったからだろう。
***
木戸をくぐって外に出て彼女に軽く一礼し、足早にその場を去って、路地を抜けた。人通りの多い大通りに出て、通行人のざわめきや車の騒音に包まれた。深いため息をついた。往来の雑踏に包まれてこれほどの安堵を感じている自分がおかしかった。まるで時間が停止した静寂の異空間から現実世界に舞い戻ってきたような気分だった。
その時になって私は初めて御婦人の名前を聞いていなかったことに気がついた。その家の表札さえ見ていなかった。「サルタヒコ」という彼女の兄の作家名と、暗い納屋にぎっしりと隙間なく詰めこまれたシーラ・ナ・ギグの異様な光景だけが強烈な残像として頭にこびりついていた。私は首を振って(喫茶店に行こう)と思った。熱いコーヒーを飲みたかった。
【 喫茶店 】
その喫茶店は岐阜市役所のすぐ近くにあり、大通りに面していた。オリジナルのショートケーキは5種類ほどありいずれも堂々とした大きさで、私は特に抹茶ケーキが好きだった。店内に入ると170cmは優に越えている長身の奥さんがいつも笑顔で出迎えてくれる。このところ少々御無沙汰だったので「あら、お久しぶり!」という明るい声に私は救われる想いだった。
「今日は打つの?」
「いえ、今日はコーヒーだけです」
その頃、自宅の仕事部屋にいて気分が鬱すると、私は財布をジーンズの尻ポケットに突っこみ、なんのカバーも装着していないMacBookだけを無造作に手にして家を出ることがよくあった。のんびり歩いて15分ほどのところにこの店はあった。窓ガラス越しにチラッと店内を見て客の混み具合を確認し、さほど混んでいないようであれば「ラッキー」とつぶやいて店に入った。2〜3時間ほど、思いつくままに文章を打って過ごした。仕事のストレスやなんやかやでザワザワと心にさざ波が立っているときは、少年時代の回想談を書いた。すると心は優しい気分に満たされ、さざ波は消えた。
彼女はそうした「私の過ごしかた」をよく知っていた。「打つの?」と聞いてくれて「そうです」と私が答えた時は、部屋の端の窓際席に案内してくれることが多かった。
熱いコーヒーをすすりながら、サルタヒコが何体も何体もシーラ・ナ・ギグを制作する様子を想像した。しかし彼のルックスをよく見なかった上に、そこまでシーラ・ナ・ギグに執着する理由はさっぱりわからなかった。
(サルタヒコと名乗ることに、なにかキーがあるかも)
手帳に「調査:サルタヒコ」と記入した。ゆっくりとコーヒーを楽しんでから、店を出た。
* つづく *
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