【 愛欲魔談 】(11)痴人の愛/谷崎潤一郎

【 においの効果 】

今回は谷崎文学のひとつの特徴(テクニック)と言うべき「五感総動員」表現について述べてみたい。……というのも彼の小説は「見る・聞く」のメイン感覚だけでなく「嗅ぐ・触る・味わう」感覚をじつに巧みに小説文中に取り入れているように思うのだ。
特に「におい」。
河合はロシア女教師からダンスレッスンを受けて有頂天になったときも、彼女の香水がどうだとか体臭がどうだとか、そんなことを熱心に語っている。
またその時期、家事能力ゼロになったナオミは料理のひとつさえせず(河合が出勤中も)出前で食事するような贅沢女になってしまうのだが、その食べ残しが部屋の隅に放置されていて腐臭が漂い始めており……といった思わず顔をしかめてしまいそうな描写のシーンもある。これなどはまさに「におい」の効果だろう。

これはたまたまテレビで見た芸人の発言。
「4Kだ8kだ臨場感だと大袈裟に騒いだところで所詮それは〈見る〉と〈聞く〉だけじゃんか。そんなものが臨場感だと言えるか。〈におい〉も〈味〉もわからんカレーを見てどう臨場感なんだよ」
じつに同感。

さて銀座のダンスホールで「河合&ナオミ」テーブル席にきた青年2人は「もうこれで顔なじみ」と言わんばかりに「河合とナオミの愛の巣」に遊びにくる。蜜の匂いに誘われて花の周囲を飛び回っていた虫たちがついに花弁を押しのけて花の内部に入ってきたようなシーンだ。

さほど大きくはないがその貸家は(もとは画家が住んでいたとかの)ワンルーム風洋館なので、ダンスの練習もできる。
青年2人を自宅に呼んでナオミのはしゃぎようはダンスホール以上だ。ダンスホールでは(明らかに自分よりも上位の女だと認めざるをえない)女優も同席していたし他人の目もあったのだが、この洋館はナオミにとって自分の城だ。「どうにでも言いくるめられる河合」しか気をつかう人間はいない。

この居城でナオミの悪ふざけぶりは遺憾なく発揮される。夕方になって青年たちが帰ろうとすると「晩飯を食っていけ」と引き留めて洋食を取り寄せ、外が雨になると「泊まっていけ」と言い出す始末だ。河合の気持ちなど微塵も気にかけない。どころか「江戸っ子的饒舌を気取る態度」とでも言うべきか、下品でベランメイ調の青年たちを前に黙りこんでしまう河合を「目障りだ」と言わんばかりにからかい始める。ふたりきりの時に河合がどんなことを言ったか、ということまで(酒の肴のように)バラし始める。

もうこうなると読者心理としては(私のような男には女性読者はどのように感じるのか想像の外だが)、ナオミの無神経を憎み青年たちをうるさいハエのように感じ始める。不器用で、忍耐強く、ナオミからはいじめられ、切々とその場のやりきれない本音を訴える河合に対してぐっと同情心は傾いていく。「それもこれも全部、あんたが招いた状況だろうが」と一方で思いつつ、河合に対する同情を巧みに引き出すシーンだ。

一方のナオミに対する「嫌味な女だな」という嫌悪感は「ひとつの蚊帳で4人が雑魚寝する」というシーンでさらに募る。蒸し暑い夏で、蚊帳で、狭い空間で、4人の雑魚寝とくれば、これはもう読んでいるだけで4人の汗や体臭がゴッチャになってムッと漂ってくるような暑苦しいシーンだ。ここでもまた読者にその場の「におい」がどんなものであるかをありありと想像させる。
私は激しい雷が頭上で炸裂すると「おおっ、この機会にフランケンシュタインを観よう」と思うような人なので(笑)、このシーンは蒸し暑くてやりきれない夏の盛りの夜に再読しようかと思っているほどだ。
そのような「蚊帳のうち」状況で、ナオミは3人の男を相手に遊女のように(あられもない格好で)はしゃぎ回る。

さて夫をコケにし2人の青年を相手にやりたい放題・言いたい放題の醜態ナオミもやがては寝てしまう。すると目の前に投げ出されたナオミの小さな足をつくづくと眺めた河合は「この足は俺のものだ」という心情でそっとキスをするのだ。やれやれというほかない。「まさに痴人の愛。もう勝手にしろ」と思いつつ「……なるほどこの描写はまさに〈触る〉感覚だなぁ」と感心する。

つづく


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