【 愛欲魔談 】(19)痴人の愛/谷崎潤一郎

【 虫払い 】

このところ魔談は「愛欲魔談」と称して谷崎潤一郎「痴人の愛」を語ってきた。とはいえ気がついたらかれこれ19回目だし、4回も脱線したことだし、そろそろ次に行った方がよろしかろうということで、次回、この小説は終りにしたい。

さてこれまでの「痴人の愛」をざっくりと見てくると、以下のような展開だった。

① ナオミゲット編
② ナオミと同居編
③ ナオミの能力失望編
④ 社交ダンス編
⑤ 虫の登場編
⑥ ナオミの策謀編

ということで、酒場で見染めたナオミ(15歳)をまんまと我がものにした(①)河合の幸福は、わずかに②のみ。③で(英語学習能力に)失望し、口論し、喧嘩となる。
④から先はナオミが「社交ダンスのレッスン」という新たな世界をひっぱってきたように見えたものの、そこは複数の虫がナオミの周囲を飛び回っているような世界だった。河合にとっては、失意失望にドス黒い嫉妬や猜疑心が追加されていく泥沼展開となる。

このあたり、つまり「虫の登場」→「嫉妬や猜疑心の追加」という展開により、河合のプライベートは行動範囲も失望範囲も拡大していく。多くの読者、ことに男性読者は河合の行動や心情にイライラしながらも、心のどこかで同情したり共感したりするシーンがチラチラと出てくるのではないだろうか。人により程度の差はあっても、そこそこの年齢に達し人生経験を経た人であれば、嫉妬したり猜疑に心を奪われたりした苦い経験はきっとあるはず。

ダンスホールで目撃されたことから、ついに会社の同僚にまで「浮いたウワサ」が立ってしまった河合。「数人の青年を手玉にとって遊んでいる女」とナオミがウワサされていることに彼は愕然とする。問いつめられ、いったんおとなしくなったナオミ。しかし彼女が持ち出した鎌倉避暑は、じつは虫たちと遊ぶためのナオミのお膳立てだった。
とうとうブチ切れて罵倒する河合。
「ばいた! いんばい! じごく!」

「言いのがれ & 開きなおり」を繰り返すナオミ。ナオミをまったく信用できなくなった河合。彼は避暑地にナオミを軟禁状態にし、会社を休み、「よもや」といった気分で長らく留守にしていた自宅に行く。なんと(鍵がかかっているはずの)自宅にいたのは虫のひとり。その青年の告白で、ナオミは2人の青年の間を行ったり来たりして遊んでいたことが判明。

一読者としては、もう何度「ここまで裏切られて、なぜ別れない」とイラだたしく思ってきたことだろう。あるいはそこが、そここそが、谷崎の狙いなのだろうか。何度裏切られても、何度だまされても、夜になると若いナオミとの肉欲に溺れ、その快感、その美の前にひれ伏してしまう河合。もはや信頼関係はなくお互いの行動を猜疑の目で見るような仲でありながら、それでも河合は「別れる」という決定的な終点を恐れているかのように見える。やがて来る終末を予想しつつ、それでもそこにいたるまでの肉欲を、一夜でも、一時間でも多く溺れていたいと願うかのようだ。

この「愛欲魔談」(15)(16)(17)で登場のKKが、ある時、フッとつぶやくように言った言葉が思い出される。
「……なあ、女とやった時ってのは、オレは征服したと思ってたんだよね」

私は黙っていた。仕事の打ち合わせが終了した直後だし、昼間の会議室だし、そんな話は聞きたくもなかった。相槌を打つ気さえなかった。

「……実際は逆なんだよな。……2回目、3回目、どんどん逆になるのを感じるんだよな」

 次回 最終回 


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